埼玉県さいたま市の中心部に位置する浦和区で、環境中にPFAS(有機フッ素化合物)が高濃度で検出され、地域住民の間で懸念が広がっている。国際機関が発がん性を指摘するこの物質は、浦和競馬場近くの川から始まり、調査が進むにつれて驚くべき濃度で湧水から見つかった。都会の真ん中でなぜこのような汚染が発生したのか、その原因を追跡した。
さいたま市中心部を襲うPFAS汚染の発見
事の発端は、202X年夏、さいたま市内を流れる一級河川「藤右衛門川」にかかる柳橋での水質検査だった。ここで1リットルあたり150ナノグラムのPFASが検出された。この地点は埼玉県庁からJR浦和駅を挟んで東に約2キロの距離にある。
さいたま市環境対策課は、この汚染の原因究明に乗り出し、川の上流へとつながる雨水幹線を調査し始めた。調査の過程で、ある地点からは900ナノグラム、さらに最上流部では12000ナノグラムものPFASが検出された。汚染源を特定するため、マンホールを一つずつ開けて雨水幹線に流れ込む水路を見つけるたびに、水を採取して測定を重ねる地道な作業が続いた。
2ヶ月後、JR与野駅から東へ約500メートルの地点で、驚くべき18000ナノグラムという高濃度のPFASが検出された。この場所は浦和区上木崎2丁目にあり、ある保険会社のさいたま本社が立地する敷地内の湧水であることが判明した。
藤右衛門川で検出された高濃度PFAS汚染の現場周辺
高濃度汚染が確認された地点のすぐ近くには小学校があり、基地や工場といった化学物質を扱う施設がない都会の真ん中で、なぜこれほどのPFASが検出されたのか、市環境対策課の担当者も当時「わからない」と困惑の表情を見せたという。
さいたま市によるPFAS水質検査結果を示す汚染地図
土地の履歴が解き明かす「さいたまミステリー」の鍵
「さいたまミステリー」とも呼べるこの謎を解くには、汚染源となった土地の過去を詳細に辿る必要があった。筆者は法務局で閉鎖された古い登記簿を入手し、その土地の所有者履歴を調査した。登記簿には、年代を追って四つの事業者の名前が記されていた。
- 1941年8月1日:日東理化学研究所
- 1966年3月30日:大日本インキ化学工業株式会社(現在のDIC株式会社)
- 1974年10月3日:株式会社竹中工務店
- 1987年2月28日:日新火災海上保険株式会社
市環境対策課も同様に登記簿を調査し、PFAS汚染との関連が疑われる大日本インキ(DIC)に対し、過去の経緯について問い合わせを行った。
DICからは、1960年代頃からPFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸)やPFOA(ペルフルオロオクタン酸)などを工場で使用していたが、化学物質審査規制法で製造・使用が禁止されたPFOSについては2010年に、PFOAについても同様に2021年には使用を停止しているとの説明があった。
高濃度PFASが検出された湧水のある敷地内の保険会社外観
しかし、この土地にあったのは「工場」ではなく「研究所」だった。登記簿には「財団法人大日本インキ理化学研究所」(後に「財団法人川村理化学研究所」に改称)と記されており、実際にどのような物質が扱われ、排出されていたかについては、DIC側も「当時の状況はまったくわからない」と回答しているという。
PFAS汚染源の土地履歴を示す古い登記簿の抜粋
浦和区PFAS汚染の今後と課題
浦和区で検出された高濃度PFAS汚染は、かつてその土地に存在した化学系研究所との関連が浮上したものの、具体的な汚染経路や責任の所在は依然として不明瞭なままだ。市民の健康への影響が懸念される中、さらなる詳細な調査と情報開示が求められる。過去の土地利用が現代の環境問題として顕在化する事例として、この問題の推移は社会全体の注目を集めている。行政、専門家、そして地域住民が連携し、透明性のある対応を通じて、この「さいたまミステリー」の全容解明と適切な対策が講じられることが急務である。
参考資料
- Yahoo!ニュース: 浦和区で高濃度のPFAS汚染を検出! その原因を追ってみると…