テレビ番組の企画で出会った夫と結婚して32年、3人の子どもを育て上げた人気お笑いコンビ「ハイヒール」のモモコさん。しかし、彼女の生い立ちは決して平坦なものではありませんでした。2歳での両親の離婚、高校中退、そして暴走族への加入。波乱万丈な人生を経て、夫婦二人での生活となった今、彼女が語る過去と現在の心境に迫ります。
幼少期の苦難:両親の離婚と継母との生活
関西を拠点に長年活躍し、お笑い芸人として第一線を走り続けるハイヒール・モモコさん。プライベートでは3児の母でもありますが、その幼少期は厳しいものでした。モモコさんは2歳の時に両親が離婚し、父親に引き取られて育ちました。しかし、小学校2年生の時に父親が再婚し、厳しい義母との生活が始まったことで、家庭の雰囲気は一変。可愛がってくれた祖母や手伝いの女性がいなくなり、心安らぐ居場所がなくなってしまったといいます。
家族のムードメーカー:笑顔を求めて
重苦しい家庭の空気の中で、幼かったモモコさんは「誰にも頼れないなら、自分でなんとかするしかない」という意識が芽生えました。「私がこの家の重苦しい空気をどうにかしなければ」と、道化役に徹し、周りの顔色をうかがいながら皆を笑わせる役割を担うようになりました。彼女は、ただ家族みんなに笑顔でいてほしいと願っていたのです。この「人を笑顔にしたい」という強い思いが、後にお笑いの世界へと進む原点となったのかもしれません。
自由を求めた反動:高校中退と暴走族時代
中学2年生の時、実の母親に引き取られ、生活は大きく変化しました。新しい環境で一気に自由を手に入れたモモコさんは、その反動で「やりたい放題」の時期を迎えます。高校は1年で中退し、働きながら暴走族に入り、バイクで街を走り回る日々を送っていました。この経験は、彼女の人生に大きな影響を与え、後の芸風にも通じる自由奔放さの源となったと推察されます。
ハイヒール・モモコさんの暴走族時代の写真、特攻服を着用
お笑いの世界への道:東京への憧れから
では、暴走族として自由な生活を送っていたモモコさんが、なぜお笑いの世界へと足を踏み入れたのでしょうか。きっかけは、当時東京の代々木公園付近で踊っていた「竹の子族」への憧れでした。どうしても東京へ行ってみたかった彼女は、交通費を無料にするため、友人と素人参加型のお笑い発掘番組に出場することを決意します。この意外な動機が、彼女をお笑いの道へと導くことになったのです。
まとめ
ハイヒール・モモコさんの人生は、幼少期の家庭環境が彼女の「人を笑顔にしたい」という強い願望を育み、それがお笑いの道へと繋がったことを示しています。また、自由を求める若き日の反動が、型にはまらない彼女の個性と魅力を形成したとも言えるでしょう。波乱に満ちた生い立ちを乗り越え、トップ芸人として活躍し続けるモモコさんの人生は、多くの人々に勇気と感動を与えています。
参考文献
- CHANTO WEB
- Yahoo!ニュース
- ハイヒール・モモコさん「誰も頼れないなら自分でなんとかするしかない」生い立ちを経て夫婦2人の生活で思うこと