海外ホテルでドライヤーが見つからない?古市憲寿が紐解く「生活感」と「高級感」のパラドックス

真夜中の海外ホテル。部屋のあらゆる引き出しを開け、洗面所、クローゼット、ベッド脇、そしてベッドの下まで探し回ったが、どうしても見つからない。フロントに尋ねることは敗北のように感じられ、もう少し粘ってみる。結局、それは食器棚の2段目に、黒い袋に包まれ厳重に保管されていた。探していたのはドライヤーだった。日本のホテルでは洗面台に備え付けられていたり、鏡の前に置かれていたりして困ることはまずないが、国際的なホテルではその配置が千差万別である。このささいな出来事から、社会学者の古市憲寿氏は「生活感」と「高級感」の興味深い関係性を考察する。

「ドライヤーは洗面所で」は常識ではない?海外ホテルでの隠し場所

日本のホテルに慣れていると、ドライヤーが洗面所に置かれているのは当たり前の光景だ。しかし、世界中のホテルではJISのような統一規格はなく、「ドライヤーは洗面所で使うもの」という認識自体が共通の常識ではない場合が多い。化粧鏡の前での使用が想定されていたり、あるいはベッド脇での使用を促していたりすることもある。このような配置の多様性は、一見すると利用客を困惑させるが、ホテル側にはそれなりの事情があると考えられる。その一つが、ホテルが演出したい「高級感」にある。ドライヤーという生活に密着したアイテムを、できるだけ視界に入れたくないという意図があるのかもしれない。

海外のホテル客室でドライヤーを探す様子を表すイメージ。散らかった引き出しや洗面所周辺が見える。海外のホテル客室でドライヤーを探す様子を表すイメージ。散らかった引き出しや洗面所周辺が見える。

ホテルが「生活感」を排除する理由:高級感の演出

空間を高級に見せるための基本的な原則は、「生活」を感じさせる要素を視界から徹底的に排除することだ。ホテルに限らず、デパートのラグジュアリーフロアや、上流階級の住まいを見ても、生活臭を徹底的に排除していることがわかる。散らかった洗濯物や濡れたスポンジ、調味料などが目に触れることはない。そもそもモノが極端に少ないか、あるいはタオルや歯磨き粉といった日用品でさえ、まるでオブジェのように整然とディスプレイされている。なぜホテルのロビーや富裕層の家に巨大な壺が置かれているのか。それは、それらが「生活」から最も遠い存在だからである。生活感と高級感は、まさに反比例の関係にあると言える。もし手軽に部屋をおしゃれに見せたいなら、極力モノを減らし、生活感のない美術品などを置くのが効果的だが、それは同時に暮らしにくさにつながるだろう。ドライヤーは、まさに「生活の象徴」のようなアイテムだ。どんなに高性能な高級ドライヤーであっても、あえて見せびらかすようなものではない。その結果、ホテルでは目立たない場所に隠されてしまう傾向にあるのかもしれない。

生活感のある日用品が整然と隠されている様子を示す抽象的なイラスト。高級感のある空間デザインの比喩。生活感のある日用品が整然と隠されている様子を示す抽象的なイラスト。高級感のある空間デザインの比喩。

見つからないエレベーターボタン:日常から逃れられない人間性

必要なものから「生活感」をどうやって取り除くか。古市氏は、ドライヤーの他にも類似の体験を語る。最近、香港とバンコクで立て続けに経験したのが、「エレベーターのボタンが見つからない」という出来事だ。通常、エレベーターのボタンは扉のすぐ隣という分かりやすい位置にあるものだが、どこにもそれらしきものが見当たらない。困っていると、慣れた様子の常連客が、扉脇に設置された調度品にさりげなく触れると、エレベーターの扉が開いたという。ボタンが完全に調度品の一部として隠されていたのだ。

高級感と共に生活することは、多くの不便を伴う。しかし、ドライヤーやエレベーターのボタンを探して慌てる姿は、いかにも人間臭く、「生活」に満ちている。どんなに高級な装いで着飾った日々を送っていても、人は髪を乾かさずにはいられない。上品に隠されたドライヤーは、結局のところ、人が生活から決して逃れられない存在であることを教えてくれる。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)氏の考察 / 「週刊新潮」2025年9月4日号 掲載