将棋界「師匠はつらいよ」:杉本昌隆八段と深浦康市九段が語る師弟の苦悩と愛

将棋界のトップ棋士である藤井聡太竜王名人の師匠として知られる杉本昌隆八段と、佐々木大地七段の師匠を務める深浦康市九段が、その奥深い師弟関係の難しさと喜びについて語り合いました。杉本八段の著書『師匠はつらいよ2 藤井聡太とライバルたち』の刊行を記念したこの対談では、弟子を育成する上での葛藤や、師匠としての本音が赤裸々に明かされています。プロ棋士を目指す者にとって不可欠な師弟の絆は、時に厳しく、時に深い愛情に満ちたものとなり、その成長を見守る師匠たちの経験が将棋界の伝統を形成しています。

杉本昌隆八段と深浦康市九段が師弟関係の難しさについて語り合う対談風景杉本昌隆八段と深浦康市九段が師弟関係の難しさについて語り合う対談風景

弟子との率直な交流と師の葛藤

深浦九段は、弟子である佐々木七段との最近のエピソードを振り返り、師弟間の率直なやり取りを明かしました。ある時、順位戦を控えた重要な時期にもかかわらず、練習将棋で佐々木七段が持ち時間20分の半分しか使わなかったことに苦笑いを見せます。「結果は私が負けましたけどね」と語る深浦九段の言葉には、長考の習慣を身につけてほしいという師匠の願いと、研究範囲だからと早指しで済ませてしまう弟子の実情が見て取れます。「最近もちょっと叱りました」と付け加えるその表情には、弟子への深い愛情が滲み出ていました。

一方、杉本八段は藤井聡太七冠(当時)との微笑ましいエピソードを披露しました。ある企画の師弟タッグマッチで敗れた後、自身の指し手を「勢いがない」とぼやいた杉本八段に対し、藤井七冠からは「逆じゃないでしょうか。もっとおとなしくやったほうがよかった」という的確な指摘が返ってきたといいます。杉本八段は「確かにおっしゃる通り。でも、そんな大事なことは対局前にいってくれないとね」と笑いながら当時を振り返り、弟子が成長し、もはや師匠を凌駕する存在になっている現状を伺わせました。

プロ入りをかけた三段リーグの重圧と師匠の願い

師匠たちが最も心を揺さぶられるのは、弟子がプロ棋士への道をかけた三段リーグの最終日かもしれません。杉本八段は、年齢制限が迫っていた齊藤裕也四段(当時三段)の対局結果を待つ間の心境を語ります。わずか10分足らずの仮眠中に、夢の中で齊藤三段が「すいません」とプロ棋士を諦める挨拶をするという悪夢を見たそうです。齊藤三段は1局目に敗れた時点で自力での昇段が難しくなりましたが、「結果的に昇段してよかったです」と、最終的にプロ入りを果たした弟子への安堵を口にしました。

深浦九段もまた、弟子である齊藤優希四段のプロ入りまでの道のりを感慨深く語っています。「26歳を過ぎて観念しましたね」という言葉には、年齢制限のプレッシャーと、それでも諦めずに奮闘する弟子の姿を見守る師匠の苦悩が込められています。27歳で迎えた三段リーグで1勝6敗という絶体絶命のスタートを切った弟子を心配し、学問の神様として知られる湯島天神に一緒にお参りしたこともあったそうです。窮地から見せた弟子の「今までに見たことないような底力」は、師匠の心に深く刻まれました。

将棋界に根付く師弟愛と育成の難しさ

二人の師匠に共通するのは、弟子への尽きることのない深い愛情です。杉本八段の「何が正しいかはわからないんですけど、できることだったらなんでもしてあげたいなという思いはありますよね」という言葉は、師匠たちの本音を代弁しています。将棋界では、弟子入りをしなければプロ棋士になれないという独特の制度があり、師弟関係は何十年にもわたって続きます。この長く密接な関係は、時にその距離感を非常に難しいものにします。

世間が抱く威厳のある師匠像とは裏腹に、実際には弟子たちの成長を一番近くで見守りながら、自らも悩み、葛藤し続ける姿がそこにはあります。プロ棋士という厳しい世界で生き抜くために、弟子を支え、導き、時には叱咤激励する。その全てが、将棋界という特殊な文化の中で育まれる、かけがえのない師弟の絆の証なのです。

参考文献