肺炎のため今月4日に82歳で逝去された歌手・橋幸夫さん(本名=橋幸男)の通夜が9日、都内の無量山傳通院でしめやかに執り行われました。舟木一夫さん、錦野旦さん、元首相の鳩山由紀夫氏ら約700人の著名人が参列。葬儀委員長を務めた株式会社夢グループ代表取締役の石田重廣氏が囲み取材に応じ、故人への深い思いと心残りを語りました。
夢グループ石田社長が語る橋さんの「最後の電話」
葬儀委員長として通夜を終えた石田氏は、「正直安心しました」と胸の内を明かしました。生前の橋さんとの間で、「いずれこういう場面が来るからよろしくな。オレの方が年がいっているから頼むぞ」と話していたという秘話を披露。故人との約束を果たすことができた安堵感を示しました。
橋さんとの最後の言葉は、電話で交わされたといいます。夢グループの20周年コンサートにおけるトークシリーズの一環で、石田氏の誕生日に橋さんの奥様から連絡があり、「絶対に誕生日おめでとうと言わせる」という強い思いがあったそうです。石田氏が「橋さん早く元気になってね」と語りかけた際、奥様が「社長の誕生日だよ。目を開けなさい」と声をかけると、橋さんは一言、「社長、誕生日おめでとう」と返したといいます。これが、橋さんが発した最後の言葉だったと石田氏は明かしました。
橋幸夫さんの通夜に参列し、故人への思いを語る夢グループ代表取締役の石田重廣氏
ファンへのメッセージと「死ぬまで歌う」生涯
石田氏は、橋さんがファンに向けて発した最後のメッセージについても触れました。「お客さんを通しては、『命ある限りパワーをもって百戦錬磨』、そして『みなさん頑張りましょう。応援してますよ』。それが立ち上がって心から出た最後の言葉だったのかな」と振り返り、橋さんの優しい人柄と歌手としての情熱を笑顔で語りました。病と闘いながらも、最期まで歌に情熱を注ぎ続けた橋さんの姿は、多くの人々に感動を与えていました。
78歳で大学入学、叶わなかった卒業の夢
祭壇に手を合わせた際に橋さんへかけた言葉について問われると、石田氏は、橋さんの引退から復活に至るまでの道のりを回想しました。「本当に死ぬまで歌うということをまっとうしました。言葉が話すことができなくなる寸前まで歌を精一杯歌った。そんな橋さんに僕は感謝で『ご苦労さん』。それと同時に『素晴らしかったね。かっこよかったよ』と伝えました」と、故人の偉業を称賛しました。
しかし、石田氏には深い心残りがありました。「なんと78歳で大学に入学した。ちゃんと単位を取って、来年の春卒業の予定でした。それだけが僕は悔しい。橋さんも悔しがっていると思う。僕も入学式に一緒に行って、卒業式も一緒に行くと約束した」と、橋さんの学業への意欲と、叶わなかった卒業の夢への無念さを滲ませました。
保科有里さんが感謝、アルツハイマー公表後の反響
囲み取材には、石田氏と共に歌手の保科有里さんも応じました。保科さんは、橋さんがアルツハイマー病であることを公表した際に、「どうして出すんだ」という批判の声もあったとしながらも、「お客さんの拍手がやさしかった」と振り返りました。「橋さんはファンのために一生懸命歌っていたと思うんですが、アルツハイマーになってからは自分のために一生懸命歌っている気がして、お客さんが感動されてあたたかい拍手と声援がいっぱいでよかったと思います。社長のおかげです」と、石田氏の支えに感謝の意を述べました。石田氏もまた、「僕も『なんで病気の人に仕事をさせるの』というクレームがいっぱい来るのも覚悟していました。でも、世の中のお客様は違いました」と笑顔で語り、ファンの温かい支持に感謝しました。
祭壇と式場の詳細、参列した著名人
式場内では、橋さんの数々のヒット曲が途切れることなく流れ、故人を偲ぶ空間を創り出していました。祭壇は、橋さんの熱海のご自宅から見えた富士山をモチーフにデザインされ、トルコキキョウ、カーネーション、バラ、胡蝶蘭、カサブランカ、菊など、約3万本もの色鮮やかな花々で飾られました。遺影には、2024年10月31日に写真家・山岸伸氏によって撮影された写真が飾られ、故人の在りし日の姿を伝えていました。
<橋幸夫さん通夜 主な参列者(敬称略)>
青空こうじ、飛鳥とも美、安倍理津子、麻生けい子、生稲晃子、加藤久仁彦、加藤高道、川中美幸、金沢明子、coba、桜井たつる、山東昭子、せんだみつお、田川寿美、田辺靖雄、長山洋子、夏木ゆたか、錦野旦、鳩山由紀夫、はやぶさ、春風亭柳好、舟木一夫、三沢あけみ、三田明、三善英史、山内惠介、ロザンナ
橋幸夫さんの通夜は、彼が生涯を捧げた歌への情熱、そして病と闘いながらも前向きに生き抜いた姿を改めて多くの人々に伝える場となりました。特に、78歳で大学に入学し、卒業を目前にしながら他界したというエピソードは、故人の知的好奇心と向上心の強さを物語っており、多くの参列者の心に深い感動と惜別の念を残しました。彼の「最後の言葉」と「叶わぬ夢」は、橋幸夫という一人の人間の魅力と、彼が残した功績の大きさを後世に伝え続けるでしょう。