映画『竜とそばかすの姫』(2021年公開)の結末に、多くの観客が驚きを覚えたかもしれません。特に『美女と野獣』のようなロマンスを期待していた人々にとって、「竜」の正体が明かされる場面は、予想を大きく裏切るものだったことでしょう。物語の途中までは、仮想世界で出会った二人が現実で結ばれるような展開が予感される描写も少なくありませんでした。
しかし、この結末は、主人公・内藤鈴(すず)というキャラクターを深く紐解くことで納得ができます。本作は、「歌えなくなった少女が仮想空間で絶大な人気を誇る歌姫になる」物語であると同時に、すずの物語の核心が「亡き母の想いを理解する」ことにあるからです。では、なぜすずは歌えなくなってしまったのでしょうか。その答えは、彼女の心に深く刻まれたある痛みに遡ります。
心に刻まれた「選ばれなかった」という痛み
すずの心の根底には、「選ばれなかった」という深い痛みが存在します。幼い頃、すずの母親は川で溺れていた見知らぬ子どもを助けようとして、自らの命を落としました。母親の選択が正しいと頭では理解しながらも、「どうして自分ではなく、あの子を選んだのか」という問いは、幼いすずにとってあまりにも重すぎたのです。「自分は母親に選ばれなかった」という感覚が、すずの深い自己否定へと繋がり、それによって母親との幸福な記憶が痛みへと変わり、歌えなくなってしまいました。
仮想世界「U」での自己再構築
だからこそ、仮想世界「U」で美少女アバター「ベル」になることは、単なる現実逃避ではありません。「U」という空間は、すずにとって新しい自分と出会える場所でした。50億人の前で堂々と歌える声を手に入れることは、すずにとって失われた自分を取り戻す試みとも言えます。VTuberやTikTokerが活躍する現代において、この設定がリアルである点も本作の魅力の一つです。
『竜とそばかすの姫』仮想世界「U」での歌姫ベル
「竜」との出会いがもたらす母への理解
そして、ネット上で最も忌み嫌われている存在であった「竜」の正体が、虐待を受けている14歳の少年・恵だと知ったとき、すずの物語は決定的な転換点を迎えます。恵という存在は、すずに母親の記憶を鮮明に呼び覚ましました。ここで初めて、すずは母を心から理解します。母親もまた、目の前で苦しむ子どもを見過ごすことができなかったのだと。「なぜ自分を置いていったのか」という長年の問いが、ようやく答えを得る瞬間でした。
映画の終盤で描かれるのは、ロマンチックな結びつきではなく、すずが過去のトラウマを乗り越え、自己を肯定し、母親の深い愛情と共感を理解するまでの軌跡です。この「竜」との出会いを通じて、すずは母親の犠牲が、他者への限りない慈愛から生まれたものであることを悟り、自らもまたその慈愛を受け継ぐ存在へと成長していくのです。
参考文献:





