山梨のスーパーボランティア 被災地体験を地元に生かす

[ad_1]



トラックに積んだ災害ボランティアの“七つ道具”を手に語る坂下嘉和さん=山梨県甲斐市富竹新田(渡辺浩撮影)

トラックに積んだ災害ボランティアの“七つ道具”を手に語る坂下嘉和さん=山梨県甲斐市富竹新田(渡辺浩撮影)

 「山梨にもスーパーボランティアがいる」と聞き、会いに行ってきた。甲斐市富竹新田の坂下嘉和さん(72)は電機メーカーを退職後、63歳のときに起きた東日本大震災の被災地に通って以降、各地に出向き、今年の台風19号でも長野市に入った。経験から見えてきた地域防災の課題とは。(渡辺浩)

 平成23年に東日本大震災が起きたとき、被災地に連絡しても、どこも「長期のボランティアは受け入れ態勢が整わない」と言うばかりでした。

 ところが、宮城県七ケ浜町のボランティアセンターから「自分でテントを張って野営するなら、場所はあります」と言われ、ピックアップトラックにチェーンソーや電動工具、バール、ジャッキなど“七つ道具”を積んで通い始めました。

 1週間前後滞在して山梨に戻ることを繰り返し、計約150日間活動しました。当初は家屋の泥かきなどをしましたが、復旧が進むにつれ、物作りの経験を生かして、倒壊した石碑の修復に取り組みました。ボランティアセンターはよく機能していました。

 それ以降、昨年の西日本豪雨など全国の被災地に入り、今年10月には台風で被害を受けた長野市で3日間ずつ3回活動しました。いろんな被災地を見聞きしていて、残念に思うこともあります。善意を生かせず、ボランティアセンターを早々と閉めてしまった自治体が見受けられました。

 七ケ浜町のボランティアセンターがなぜ多くのボランティアを受け入れることができたかというと、普段からNPO法人と連携していたので備えが生かされ、現場を仕切るスタッフの派遣も受けられたのです。

 こうした体験を生かし、私の地元の町内会はNPO法人「災害・防災ボランティア未来会」(甲府市)の山下博史代表の指導を受けています。形だけのマニュアルや組織図を作っても機能しないので、役員とは別に継続的に取り組む防災メンバーを組織しています。

 特に力を入れているのは「街歩き」で、川が氾濫するとどこに水が流れ込むか、地震の際にどのブロック塀が倒れるかといった地域特有の災害リスクを細かく調べています。

 「自助」「共助」「公助」という言葉がありますが、最近は自助と共助の間の「近助」も叫ばれています。向こう三軒両隣が支え合うことが、人命救助や減災に重要だと感じます。

 ■さかした・よしかず 昭和22年8月、静岡県榛原町(現・牧之原市)生まれ。46年に山梨大工学部を卒業後、岡村製作所(現・オカムラ)を経てパイオニアに入社。東京で勤務していたが、工場進出に伴い55年に再び山梨へ。妻(67)と2人暮らし。

[ad_2]

Source link