三笠宮寛仁親王妃家の創設:女性皇族が当主を務める宮家誕生の意義と皇室典範の課題

皇室のあり方に関する議論が続く中、皇室経済会議は9月30日、新たな宮家「三笠宮寛仁親王妃家」の創設を議決しました。これにより、三笠宮寛仁親王妃信子殿下がその初代当主となり、長女である彬子女王殿下が三笠宮家を継承するという異例の展開を見せています。本決定は、国会で長年議論されてきた「女性宮家」創設の構想に図らずも近い形であり、日本の皇室制度と将来像に新たな視点を投げかけています。

皇室経済会議による異例の決定とその背景

今回の皇室経済会議の決定は、三笠宮家の百合子妃が昨年101歳で逝去した後、当主が不在となっていた状況に対するものです。彬子女王殿下は三笠宮家の当主となり、妹の瑶子女王殿下も引き続き三笠宮家に属します。一方で、信子妃殿下は「三笠宮寛仁親王妃家」を新たに創設し、その当主を務めることになりました。

宮家を維持するためには、私的に雇う職員の人件費や祭祀に関わる費用などが必要とされます。この決定に伴い、信子妃殿下にはこれまで年額1525万円支給されていた皇族費が3050万円に増額され、彬子女王殿下も年額640万5000円から1067万5000円へと増額されました。瑶子女王殿下については立場に変更がないため、皇族費の増額はありません。宮家が事実上分裂した背景には、母子の間の確執があると報じられており、全体の皇族費の増額が国民の税金で賄われることに対し、一部からは釈然としない声も上がっています。しかし、最も注目すべきは、女性皇族が当主となる宮家が二つ同時に誕生したという点です。これは、皇族数確保の解決策の一つとして国会で議論されてきた「女性宮家の創設」に極めて近い形で実現したと言えるでしょう。

新たに創設された三笠宮寛仁親王妃家の初代当主となった信子妃殿下(2017年撮影)新たに創設された三笠宮寛仁親王妃家の初代当主となった信子妃殿下(2017年撮影)

皇室典範における宮家の位置づけと「当主」の概念

今回の決定は一見すると異例に映るかもしれませんが、宮家で男性当主が亡くなった場合、その妃が宮家を継ぐという先例は存在します。しかし、宗教学者の島田裕巳氏が指摘するように、皇室のあり方を定める「皇室典範」には、宮家に関する具体的な規定は一切ありません。これは、明治期に天皇家の家憲として定められた「旧皇室典範」においても同様です。

新旧の皇室典範では、皇位継承に関わる事項は詳細に規定されているものの、それ以外の事柄、特に宮家の制度やその当主に関する規定はほとんど見受けられません。旧皇室典範が制定された時代には、女性を当主とする宮家が生まれることは全く想定されていなかったはずです。したがって、報道で用いられる「当主」という名称も、皇室典範には明記されておらず、あくまで慣例に基づいて使用されているものであり、法的な概念ではありません。この「当主」という考え方は、戦前の家督相続制度における「戸主」に近いものであり、宮家という制度自体が戦前からの慣習を引きずる、非常に旧態依然としたものであると指摘する声もあります。

女性当主の宮家が示唆する将来の皇室像

女性皇族が当主を務める宮家が誕生したという事実は、今後の皇室のあり方を考える上で重要な意味を持ちます。これは、天皇家においても同様の可能性が存在することを示唆していると言えるでしょう。具体的には、この動きは「女性天皇」の容認、さらには「女系天皇」への道を開くものとなるのではないかという見方が生まれても不思議ではありません。

現在の皇室典範では、皇位継承は男系男子に限定されていますが、皇族数減少の問題が深刻化する中で、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」の創設や、女性天皇・女系天皇の是非が長期にわたり議論されてきました。今回の三笠宮寛仁親王妃家および三笠宮家の当主決定は、法的な枠組みが十分に整備されていない中で、事実上「女性当主」という形が認められたことになります。これは、将来的な皇室制度改革、特に女性の皇位継承権に関する議論に新たな側面をもたらし、皇室の多様性と柔軟性を模索する上での重要な一歩となる可能性を秘めています。

参考文献