日本のエリート教育は本当に不要か?『ドラゴン桜2』と東大生が問う格差の現実

人気漫画『ドラゴン桜2』が描く教育現場の議論は、現代日本の社会問題を浮き彫りにします。特に「エリート教育」の必要性に関する問いは、多くの人々の関心を集めているでしょう。現役東大生である土田淳真氏は、『ドラゴン桜2』を題材に、日本の教育と受験の「今」を深く読み解いています。この記事では、受験を巡る格差や、いわゆる「エリート」と呼ばれる層が無意識に抱く優越感、そしてそこから生じる複雑な感情について、氏の考察を通して掘り下げていきます。

「日本にエリート教育はいらない」という問いの裏側

『ドラゴン桜2』の舞台である龍山高校では、学校改革に向けた理事会が開かれました。欧米のエリート教育を目指す理事長代行の龍野久美子に対し、東大合格請負人・桜木建二は「日本にエリート教育などいらない!」と断言します。しかし、現在の日本の状況を冷静に見つめると、この桜木の主張には疑問符が付くかもしれません。

受験は建前上、誰にでも門戸が開かれていますが、特に上位校においては、事実上のエリート教育が行われている側面は否めません。合格を勝ち取るためには専門的な訓練が必要であり、その訓練には当然、多額の費用がかかります。こうした費用を賄える家庭は、往々にして既にそのような訓練を経て「エリート」の地位を築いた人々で構成されている傾向があります。これは大まかな見方ではありますが、ある程度の真実を含んでいると言えるでしょう。

もちろん、「塾なし合格」が一定数存在することも事実です。しかし、「塾なし合格」という言葉自体が、その例外性を際立たせているに過ぎません。この事実が示すのは、日本の受験システムにおいて、特別な支援や環境がなければ勝ち抜くことが難しいという現実です。

無意識の優位性と「理解できないのはしょうがない」という諦観

私立中高を経て東京大学に通う中で、筆者自身も、無意識のうちに自らを上の存在と見なすような生徒や学生の言動を目の当たりにしてきました。これは、単に自分たちが所属する集団以外の、いわゆる「非エリート」を感情的に嘲笑したり、見下したりするような単純なものではありません。

むしろ、彼らは自身の育った環境が恵まれていることを十分に理解した上で、「自分たちが関わることはお互いにとって良くない」という認識から、意図的に距離を置こうとしているように見えます。彼らは「理知的に」「理路整然と」自分たちの優位性を主張し、最後には「まぁ、でも理解できないのはしょうがないよね」といった諦めにも似た態度を取るのです。これらの主張は、相手に直接向けられるのではなく、自分たちと同じ「エリート」と呼ばれる集団内で交わされることがほとんどです。

人気漫画『ドラゴン桜2』の表紙イラスト。主人公・桜木建二が教育現場に改革をもたらす物語人気漫画『ドラゴン桜2』の表紙イラスト。主人公・桜木建二が教育現場に改革をもたらす物語

特権意識から生じる自己嫌悪と割り切れないモヤモヤ

中堅大学に進学した中高時代の友人からは、「高校の時よりもレベルが低すぎて、友人たちの言動を全く面白いと思えない。だけど、そこに優越感を覚えている自分に嫌気がさす」という本音が聞かれたことがあります。

また、経済的に困窮している環境を、あたかも観察対象として見ているかのような節も伺えます。「人生経験として肉体労働のバイトをしてみたい」という願望は、それを生業としている人々からすれば、時に残酷な言葉に聞こえるかもしれません。しかし、そうした思いを抱く自分に対して「お前は何様なんだ」と自問自答することもあります。

経済的に恵まれた生徒たちが「かわいそうだと思ったから」という理由で、貧困家庭の子どもたちの支援活動を無償で行う構図。これに対しては、「偽善だ」という批判と、「何もやらないよりは遥かに良い」という肯定的な意見が入り乱れます。どこまでいっても割り切れない感情が残り、誰にとってもモヤモヤは消えません。あるいは、私のようにそのモヤモヤを抱くこと自体に自己嫌悪を感じるようになる場合もあります。この思考のループから逃れたくて、結局は自分たちと近い集団に身を置こうとしてしまうのです。

上野千鶴子氏の警鐘:「努力は環境のおかげ」

その言動が常に話題を呼ぶ上野千鶴子・東京大学名誉教授が、2019年度の東京大学入学式の祝辞で、新入生に次のような強烈なメッセージを残しました。

「『がんばったら報われる』とあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」。

この言葉は、私たち「エリート」と呼ばれる層に深く問いかけます。自分の環境に傲慢になるべきではないし、かといって自分の努力を卑下する必要もありません。しかし、自分と異なる環境にいる他者を哀れむような態度は避けるべきです。このような間で揺れ動き、いつまでたっても消えないモヤモヤから目を背けないことこそが、今、最も大切なのではないでしょうか。

日本社会における「エリート教育」の実態と、それに伴う複雑な感情や葛藤。この問題を深く理解し、自身の立ち位置を問い直すことが、より良い社会を築くための第一歩となるでしょう。