火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(TBS系)が、最終回で自己最高視聴率となる世帯平均8.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、その幕を閉じました。これは間違いなく、2025年10月期における覇権ドラマの一つであったと言えるでしょう。
「でも、強いていうなら、全体的におかずが茶色すぎるかな」「ああ、でも謝らないで、これは鮎美がもっと上を目指せるって意味での、アドバイス」と、主人公・勝男(竹内涼真)の口から悪気なく飛び出した第1話のインパクトは記憶に新しいところです。彼が「無理」と言われてフラれるところから始まった本作は、強いフックを持ち、毎週練り上げられた脚本とキャラクター設計に感心させられました。笑いあり涙あり、そして切ない気持ちにもさせられた作品です。
しかし、最終回の放送を振り返ると、わずかな“違和感”が残ったことも確かです。厳密に言えば、この違和感は最終話で生まれたものではなく、第8話で勝男の母・陽子(池津祥子)が登場した頃から感じ始めていました。
ジェンダーロールの根深さを体現した陽子
火曜ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』©TBSスパークル/TBS
ジェンダーロールを軸とした固定観念に問題提起する本作において、陽子は多様な役割を担っていました。生粋の九州男児である夫・勝(菅原大吉)に不満を抱きながらも、それを諦め、言うことを聞き、無言で出された茶碗におかわりをよそうことが自身の役割だと、いつしか当たり前のように思うようになっていたのです。さらに、勝男の婚約者だと信じていた鮎美(夏帆)には、かつて自分が「お嫁さんになる時に求められたこと」を、悪気なく同様に求めてしまいました。
ジェンダーロールを押し付けられた女性が下の世代、特に義娘などにそれを押し付け、その義娘が母親の立場になれば、同じように娘や義娘に「私の若い時はそうだった」と“呪いのバトン”を受け渡してしまう。そして、勝男やその兄・鷹広(塚本高史)のようにそれを見て育った息子たちにとっては、「それが当たり前」という認識が形成されます。本作に深く根差すこの社会的なイシューを、陽子というキャラクターがまさに体現し、背負っていました。
メッセージ伝達における「装置」としてのキャラクター
しかし、一人の登場人物にあまりにも多くの役割を背負わせすぎたのかもしれません。それによって、陽子のセリフの多くが、物語における重要な気づきや教訓、メッセージを伝えるための「装置」としての役割を先行させてしまった印象が残りました。特に、それまでのエピソードでは、勝男や彼の会社の後輩など、キャラクターが生き生きと自らの意思で動き回っているような描写が特徴的でした。
例えば第5話では、空港に向かう車内で部下の白崎(前原瑞樹)の彼女が、自身の体験を踏まえながら「いろんな人の立場を知る努力をしたり、想像したりしたい」と自然に語り、押し付けがましさがありませんでした。しかし、ドラマ後半では「キャラクター同士の自然な会話の中で生まれた気づきの言葉」というよりも、メッセージを“言わされる”装置としてキャラクターが動かされている印象を否めません。
そして、勝男の周囲よりも鮎美の周囲の登場人物が、ドラマ後半でそうした「都合の良い存在」として機能していることが目立ったのも、最終話にかけて感じた“彼女側の物語”における違和感に繋がっているのかもしれません。
まとめ
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』は、社会に根付くジェンダーロールという固定観念に鋭く切り込み、多くの視聴者に問いかけを投げかけた意欲作であり、視聴率の面でも成功を収めました。しかし、物語後半におけるメッセージ伝達の手法、特に一部キャラクターが「教訓を語る装置」として機能してしまった点には、さらなる工夫の余地があったと言えるでしょう。このドラマが提起した問題は現代社会において非常に重要であり、今後の作品がこの経験を踏まえ、より自然で心に響く形で社会的なテーマを描くことに期待が寄せられます。





