元タカラジェンヌ倉田あみ、異色の挑戦にみる人生哲学

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今年初めてトライアスロンに挑んだ元宝塚歌劇団男役スターで女優の倉田あみ
今年初めてトライアスロンに挑んだ元宝塚歌劇団男役スターで女優の倉田あみ
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 2014(平成26)年の百周年以降、右肩上がりの興収を続ける宝塚歌劇団。退団後のスターたちの第二の人生は、女優やタレント、ダンスや歌唱の講師、結婚など、さまざま。異例の“アスリート”としても活動する者がいる。元宝塚歌劇団星組の男役スターで女優の倉田あみ。今年5月12日、元タカラジェンヌ初の「ホノルル トライアスロン2019」に挑戦、オリンピックディスタンスで約3時間50分で完走を果たした。女優、タレント、アスリート、主婦、母と多くの顔を持つ倉田に、“第2の人生”も豊かに、挑戦し続ける原動力を聞いた。(橋本奈実)

■鍛えた“切り替え”…宝塚歌劇団“初”ホノルル トライアスロン完走

 “レジェンド”と呼ばれた星組元トップスター、柚希礼音(ゆずき・れおん)と同期。「銀河亜未(ぎんが・あみ)」として活躍した倉田が、初挑戦のトライアスロンを完走した。

 「宝塚からこの分野に挑戦した人はいないようで、すごいね、と言っていただくのですが、本格的なアスリートでは全然なくて。お芝居や子育てをしている“スポーツ素人”が、頑張ったら成長し、これだけ楽しめる、ということを普及していきたい」とほほ笑む。

 岡山県倉敷市出身。高校時代はテニス部で活動も、「どちらかというと、走ることや日焼けが苦手なタイプでした(笑)」。が、鍛えれば筋肉がつきやすく、宝塚の舞台生活でとびきりの根性と体力を養った。

 2008年に退団後、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属。11年、12年に、故・今井雅之さんの舞台「THE WINDS OF GOD」に出演した。今井さんの稽古は、“肉練”とよばれる肉体を極限まで追い込むハードな鍛錬もあることで知られる。「稽古前には5キロぐらい走る。今井さんから『宝塚がなんぼのもんじゃい』とカツを入れられ、悔しくて必死で頑張って。ときに(他の出演者の)男性に勝つこともあった」

 15年に結婚。夫は山登りやトライアスロンに挑む大の運動好き。周囲にもスポーツ好きの人が多く、応援するうち、自身も走ることに。初のフルマラソンはハワイ挙式の2日後の「ホノルルマラソン」だった。「式と一緒に予定に組み込まれていた(笑)。主人は乗せ上手なんですよ」


今年2019年5月の「ホノルルトライアスロン」を完走した倉田あみ
今年2019年5月の「ホノルルトライアスロン」を完走した倉田あみ
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 約2カ月、徐々に走る距離を増やすなどして走り込んで完走した。その後もマラソン出場も妊娠を機に中断。17年に男児を出産後、自慢の腹筋の衰えに愕然(がくぜん)。「すごくショックで鍛えなきゃと。朝5時起きで走るなどして練習し、産後約8カ月で名古屋女子マラソンに出ました」

 自己記録には及ばぬものの、約4時間37分で完走。「そのタイムなら、トライアスロンは簡単。トライアスロン出場をハワイ旅行にセットしたら、と主人が。私も、ハワイなら行きたいなと、また乗せられました」と笑顔。競技の3カ月前から練習を始めた。

 トライアスロンはスイム、バイク(自転車)、ランの3種をその順番に連続して行う競技。倉田は水泳1・5キロ、バイク40キロ、ラン10キロのオリンピック・ディスタンスに挑戦した。「瀬戸内海育ちなので泳ぐことは嫌いではないですが、海で泳いだことはないし、自転車はママチャリに乗るぐらい」

 もっとも最大のアドバンテージがあった。宝塚で鍛えた“切り替え”の早さだ。トライアスロンで種目を切り替える「トランジション」が、舞台の「早替り」と似ていると感じた。


「ホノルルトライアスロン」のランで海岸線を走る倉田あみ
「ホノルルトライアスロン」のランで海岸線を走る倉田あみ
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 「ランやスイムで1分縮めるのは結構、キツイ。でも着替えを短くするのは得意。宝塚では50秒あったら早替りできると言われて育ったから」

 スターにはスタッフや手伝いがつくが、新人時代はすべて自分で行わねばならない。着る順番に衣装を並べ、飲み物などを配置。頭の中で入念にシミュレーションし、準備をしていた。

 「今回もそれはもう念入りに準備しました。ここにヘルメット、ここに飲み物、時間があれば日焼け止めを塗ろうと。化粧ポーチを開けたら鏡になるようセット。濡れたウエットスーツの脱ぎ方は何度も練習しましたね。競技前日にも海に入って練習しました」

 トランジションにたっぷり時間をかける人もおり、速い人でも2、3分はかかるが…。「私はスイムからバイクは日焼け止めを塗ったので1分くらい。バイクからランは脱いでそのまま行ったので数秒(笑)。この時間で取り戻さなきゃと思ったので」

 というのも、スイムで大幅なタイムロスをしていた。競技2日前に風邪をひき、ハワイに向かう機内では子供がなかなか寝付かず疲労で悪化。せき込み、むせってスイムの息継ぎができない状態だった。

 少し泳いでは、背を下に海の上に浮かんでいた。「絶対にゴールしなきゃ、進まなきゃ、どうしよう、と思ってバタ足をしたら進んだので背泳ぎで泳ぎ切ったのですが。ジグザグに進んでしまい、すごく時間がかかりました」

 トライアスロンのスイムでは休憩を含め、背泳ぎをする競技者はまずいないそう。海面に多くの黒いスイム帽が浮かぶ中、「背泳ぎだから私1人だけが肌色。応援してくれた人たちが驚いていた」と笑わせた。


「ホノルルトライアスロン」でバイクに挑む倉田あみ
「ホノルルトライアスロン」でバイクに挑む倉田あみ
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 宝塚と女優人生で鍛えた根性と体力で完走。「来年もまた挑戦します。そして人生をかけて一番長い距離(オリンピックディスタンスの約3倍)に挑みたい」。東京五輪のトライアスロンの観戦チケットは外れたが、沿道での応援をするつもりだという。

 泳ぐ、こぐ、走る、のトライアスロンは美容と健康にいいとも。「体形維持や精神面の強化にいい。マラソンもですが、走っているときに声を掛け合うので、コミュニケーションの輪も広がりますよ」

 すべての経験が今につながっている。宝塚音楽学校時代は、最もハードとされる講堂掃除の責任者に指名された。「上級生の指導を受け、同期の意見を聞きつつ、まとめる大役。この経験で、人や物事の差配がすごく上手になった」と振り返る。

 入学時、同期40人で1つの事柄しかできなかった。「全員で同じことをしていたから。でも40通りの方法で臨めると学んだ。多くの物事を同時進行できるようにもなりました」


「ホノルルトライアスロン」のスイムを前に準備運動する倉田あみ
「ホノルルトライアスロン」のスイムを前に準備運動する倉田あみ
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 時間の使い方もうまい。女優、タレント、アスリート、主婦、母であり、最近はデコレーション系のフラワー・アレンジメントの資格取得に向け、学び始めた。「1分たりとも無駄にできない。仕事も家事も練習も休もうと思えば休める。やらないこともできる。でも全部、自分で決めてやっていることだから」と語る。

 といって、完璧主義になりすぎないようにも意識。「自分1人では絶対にできない。自分でやること、人に頼ることの、いい案配が分かるようになりました」

 宝塚の後輩のみながらず、第2の人生、今後の人生に惑う人は多い。倉田の人生哲学は「とりあえず、やってみよう」だ。「宝塚受験がそうでした。とりあえず、不安と楽しみを両脇に抱え、自分に自信を持って一歩前に出てみる。必ずそこには違う世界があると実感しています」と話す。


「ホノルルトライアスロン」でバイクに挑む倉田あみ
「ホノルルトライアスロン」でバイクに挑む倉田あみ
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 現在、所属事務所の特性上、芸人との共演も多い。たくさんの学びがあるという。「言葉のテンポや間合いはもちろん、アドリブ満載の舞台への対応力など。実践なのでワークショップ以上に勉強になる。鍛えられています」

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