731部隊の隠された真実:少年兵が見た「標本室」の記憶

第二次世界大戦中、旧日本軍が満州(現在の中国東北部)に設立した関東軍防疫給水部、通称「731部隊」は、非人道的な人体実験と細菌兵器の研究開発を行っていました。その数少ない元隊員の一人である清水英男さん(95歳、長野県宮田村在住)は、10代半ばで「少年隊」の見習い技術員として部隊に送られ、その悲惨な記憶を80年経った今も抱え続けています。「人間のやることじゃない」と語る清水さんの証言は、歴史の暗部に光を当て、戦争の愚かさを訴えかけます。

「標本室の『あれ』は今も夢に」清水さんが語る部隊の実態

近年、清水さんは戦争の悪夢を頻繁に見るようになり、「標本室の『あれ』が夢に出てくる」と苦しみを打ち明けています。妻の入院で一人暮らしをする中、過去の証言で挙げた詳細な数字の一部は曖昧になったものの、その内容は一貫しており、彼の記憶の鮮明さを物語っています。清水さんは部隊施設の配置図を広げ、1945年3月に始まった暗い記憶を語り始めました。

志願から満州へ:14歳の少年が見た異様

国民学校高等科を卒業する直前、「軍属の見習い技術員としてハルビンで働かないか」という募集に応募した清水さん。モノづくりへの憧れから志願した彼は、他の男子3人、女子2人と共に満州へ向かいました。女子2人は新京(現・長春)で列車を降り、731部隊の関連部隊に配属されたと戦後になって知ったといいます。

当時14歳だった清水さんは、ハルビン駅で降りた40人以上の少年たちと共にトラックで平房(ピンファン)の広大な敷地にある部隊施設へと運ばれました。到着した施設には表札がなく、その目的は一切不明でした。

教育部実習室での日々:細菌培養と知られざる目的

10日間の軍人の心得を教えられた後、清水さんを含む3人は「教育部実習室」に配属されました。白衣の着用を命じられ、初めて衛生関係の仕事だと知ったものの、配属先での作業内容を話すことは厳しく禁じられていました。同じ隊舎で寝起きする少年兵たちも、互いの部署で何が行われているかを知ることはなかったと言います。

実習室での主な作業は、細菌培養の練習でした。プラチナ製の耳かきのような棒でネズミの尻から液体を採取し、寒天に植え付けて培養するという繰り返し。通常は危険のない雑菌を扱っていましたが、時には弱いペスト菌も培養したことがあったそうです。「赤痢菌やコレラ菌、チフス菌も見せられました」と清水さんは証言します。

部隊に配属された当初、教育期間が終われば本格的な細菌兵器開発に携わることになっていた清水さんですが、敗戦がその前に訪れたため、実際の兵器開発には関与しませんでした。しかし、練習の先に何が行われていたのか、彼はその一端をはっきりと知る機会があったと語っています。

関東軍防疫給水部(731部隊)の関連施設とされる写真関東軍防疫給水部(731部隊)の関連施設とされる写真

戦争の記憶を語り継ぐ意義

清水さんの証言は、731部隊の残虐性と、そこに巻き込まれた少年たちの悲劇を今に伝えています。多くの元幹部や隊員が鬼籍に入る中、彼の「一度でも多く記憶を話しておきたい」という強い思いは、二度とこのような過ちを繰り返さないために、私たちが歴史と向き合い、教訓とすべき重要なメッセージであると言えるでしょう。

参考文献: