2025年、第二次世界大戦終結から80年が経過しました。世界が戦争犯罪にどう向き合ってきたのか、その歴史を紐解く上で欠かせない存在が「ナチ・ハンター」と呼ばれる人々です。この記事では、特にその活動で知られるクラルスフェルト夫妻に焦点を当て、彼らがなぜナチス犯罪者の追及に人生を捧げたのか、その原点と歩みを探ります。彼らの活動は、元ナチ党員のクルト・キージンガーが西ドイツ首相に就任したことが大きなきっかけとなりました。
「ナチ・ハンター」クラルスフェルト夫妻の活動のきっかけ
ユダヤ人の強制移送計画を主導したアドルフ・アイヒマンがアルゼンチンの自宅近くでイスラエルの諜報機関によって極秘裏に拘束された1960年5月11日、遠くフランスのパリでは、後に「ナチ・ハンター」として世界にその名を知られることになるベアテとセルジュ・クラルスフェルト夫妻が出会いました。夫妻は後年、自分たちの活動を振り返る中で、「自分たちの活動が世に知られ始めた頃にこの奇妙な偶然に気づいた」と語っています。彼らの活動の大きな転換点の一つは、元ナチ党員であるクルト・キージンガーが西ドイツ首相に就任したことでした。
1944年5月19日のアウシュヴィッツ第二強制収容所の様子
戦後の記憶と向き合うベアテ・クラルスフェルト
ベアテ(85歳)はベルリンの典型的な家庭で育ちました。父親は従軍経験があり、両親ともにナチ党員ではありませんでしたが、ヒトラー政権に反対することもなかったといいます。「幼稚園での挨拶は『ハイル、ヒトラー』でした」とベアテは回想します。しかし戦後、学校ではナチスの犯罪について教えられることはなく、親もその話題を避けていました。灰燼と化したベルリンでの生活は、親世代が日々の暮らしに追われる現実があった一方で、デリケートな歴史の話題を避ける雰囲気があったとベアテは感じ取っていました。
彼女は言います。「彼らが戦争によって起こったことの中で心配していたのは、家がなくなったこと、仕事がなくなったことでした」。成長するにつれ、ベアテは息苦しい戦後のドイツ社会から逃れたいという思いを募らせ、商業学校で学んだ後、パリで家事手伝いをしながらフランス語を学び始めました。
アウシュヴィッツで父を失ったセルジュの過去
パリでの生活が始まったベアテに、運命的な出会いが訪れます。駅で地下鉄を待っていた彼女に、若き日のセルジュ(88歳)が声をかけました。数日後、初めてのデートの帰り道、ベアテはセルジュがユダヤ人であり、彼の父親がアウシュヴィッツで命を落としたことを知ります。セルジュの事務所には、アウシュヴィッツで失われた父アルノの写真が飾られ、彼は「強い男だった」と振り返りました。この出会いは、ベアテにとって個人的な感情だけでなく、歴史の真実と向き合う大きな転機となったのです。
過去と未来への問いかけ
クラルスフェルト夫妻は、それぞれの生い立ちと、共通して抱える歴史への問題意識から、「ナチ・ハンター」としての活動を開始しました。彼らの取り組みは、忘れ去られようとしていたナチスドイツの戦争犯罪を再び世界に問いかけ、多くの元ナチス戦犯が裁かれるきっかけとなりました。戦後80年を迎える今、彼らの活動は、過去の過ちから目を背けず、真実を追求し続けることの重要性を私たちに訴えかけています。





