老後の生活、都会か地方か?見過ごされがちな「年齢」の視点

高齢者の生活と「移動手段」の課題

「老後は都会に住むべき」というテーマがインターネット上で定期的に話題となる中、X(旧Twitter)上での過激な投稿が新たな議論を巻き起こしました。その投稿は、子どもが独立した田舎暮らしの高齢者に対し、健康維持のためのウォーキングや公共交通機関が整備された都会での生活を推奨し、「田舎暮らしは地獄への一本道」とまで言い切る内容でした。この投稿は賛否両論を呼び、活発な意見交換が繰り広げられています。

都会生活を支持する意見としては、ブロガーの大木奈ハル子さんのコメントが挙げられます。大木奈さんは、銀座に近い比較的安価な住居に住んでおり、文化施設や商店へのアクセスが便利である点を指摘。東京でも意外と安く住める場所があり、田舎よりも都会に軍配を上げています。

一方、地方在住者からは反論が多数寄せられました。「電車待ちの時間がもったいない」「荷物を車に置けないと買い物が大変」「都会でトイレットペーパーを買って何メートルも歩く方が地獄」といった声は、地方での自動車の利便性を強調し、投稿への批判を展開しています。これらの意見を見ると、議論の多くは「車は便利かどうか」という点に集約されているようです。しかし、この対立の背景には、見過ごされがちな重要な視点が存在します。

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自動車社会の恩恵と「年齢」という変数

その見過ごされがちな視点とは、まさに「年齢」の問題です。自動車社会が提供する恩恵を享受できるかどうかは、年齢に大きく左右されると言っても過言ではありません。筆者自身の経験がこれを裏付けています。

筆者はこの数年間、香川県丸亀市と東京で二拠点生活を送ってきました。香川では自家用車(オレンジのハスラー)を所有しており、その経験から言えば、車がある地方での生活は「かなり楽」だと感じています。公共交通機関の待ち時間を気にすることなく、好きな時に様々な場所へ移動でき、お茶やビールを箱買いしてもすぐに持ち帰ることが可能です。しかし、この「楽さ」は、運転ができるという前提の上に成り立っています。

高齢になり運転免許を返納したり、身体的な理由で運転が困難になったりした場合、地方での生活の利便性は一変します。自動車が生活の基盤となっている地域では、公共交通機関の不足が直接的な不便さにつながり、買い物や通院といった日常生活が著しく困難になるケースも少なくありません。地方に多く見られる「シャッター商店街」は、自動車なしでは生活が成り立たない現状の一端を示しています。

高齢者にとっての最適な選択とは

「老後は都会か地方か」という議論は、単なる「車の便利さ」だけでなく、「年齢による移動能力の変化」を考慮に入れる必要があります。若いうちは自動車の恩恵を最大限に受けられる地方でも、運転ができなくなった際に、徒歩圏内で生活が完結する都会の利便性が際立つことがあります。文化施設へのアクセスや多様な社会活動への参加機会も、健康寿命を延ばす上で重要な要素となり得ます。

もちろん、都会での生活にもデメリットは存在し、居住費や人混み、騒音などが挙げられます。しかし、高齢者の生活の質を考える上で、移動の自由が奪われることのリスクは非常に大きいと言えるでしょう。それぞれの地域が持つ特性と、個人の健康状態やライフステージの変化を総合的に考慮し、最も適した選択をすることが、充実した老後を送るための鍵となります。

参考文献