NHK高瀬耕造アナ、3年ぶり東京アナウンス室へ凱旋か?大阪での活躍と深い葛藤

NHK大阪放送局に単身赴任中であった高瀬耕造アナウンサー(12月26日に50歳を迎える)が、この度東京アナウンス室へ帰任するという一報が報じられました。3年間の大阪勤務を経ての凱旋となるのか、視聴者からの期待が高まっています。長年にわたり東京で活躍し、国民的アナウンサーとして親しまれてきた高瀬アナの今回の異動は、彼のキャリアにおける新たな節目となるでしょう。

大阪への異動と当初の“役不足”論

高瀬アナが東京を離れ、大阪局へ異動したのは2023年4月のことでした。この異動は、2021年春から大阪で勤務していた武田真一アナウンサー(58歳)の退局に伴う後任人事として報じられました。当時の関係者からは、高瀬アナが大阪行きに躊躇したとの声も聞かれました。彼は15年間東京アナウンス室に在籍し、『国会中継』や週末の『ニュース7』といった報道番組のほか、『おはよう日本』での“朝ドラ送り”や午後1時のニュースでの“昼ドラ受け”など、NHKの顔として重要な役割を担ってきたからです。大阪での担当が夕方の『ニュース きん5時』と昼の『列島ニュース』のみとなることに対し、その実力に見合わない“役不足”との見方も一部で囁かれました。

NHK公式サイトより高瀬耕造アナウンサーの肖像NHK公式サイトより高瀬耕造アナウンサーの肖像

大阪での異例の活躍と「紅白」司会抜擢

しかし、NHKは高瀬アナの活躍を見過ごすことはありませんでした。大阪異動後、彼の才能と経験を活かすべく新たな役割が次々と与えられました。2023年10月からは朝の連続テレビ小説『ブギウギ』でナレーションを担当し、その年の大晦日には『NHK紅白歌合戦』の司会に抜擢されるという快挙を成し遂げました。東京アナウンス室以外の地方局所属アナウンサーが『紅白』の司会を務めるのは、これが史上初の出来事であり、大きな話題となりました。さらに今年1月には、NHK大阪放送局と関西民放が連携した『阪神・淡路大震災30年 守りたい、だから伝える』でも司会を務め、震災から30年という節目の年に、そのメッセージを伝える重要な役割を担いました。

震災への向き合いと個人的な葛藤

阪神・淡路大震災が発生した1995年1月、高瀬アナは関西の大学を辞め、東京の大学を受験し直すために兵庫県加古川市の実家に戻っていました。早稲田大学に入学後、NHKに入局することになりますが、彼は長らく震災と真正面から向き合うことを避けてきたと語っています。しかし、『阪神・淡路大震災30年』の番組会見では、「どこかでずっと引っかかっていて、負い目もありました」と自身の心境を吐露。そして、「30年ずっと苦しみを抱えてきた方を取材して、自分のちっぽけな個人の考え、意識みたいなものは良い意味で吹き飛びました」と、取材を通じて自身の内面に変化があったことを明かしました。大阪での2年間を経て、過去の葛藤を乗り越え吹っ切れたかと思われましたが、その後も心の奥底には複雑な思いが残っていたようです。彼が東京アナウンス室時代から担当を続けているEテレの『美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室』では、今年3月の放送で、障害を持つ子どもを育てるシングルマザーの相談に深く耳を傾ける姿が印象的でした。

高瀬耕造アナウンサーの東京アナウンス室への帰任は、彼が大阪で積んだ経験が新たな深みをもたらし、今後の報道や番組制作においてさらにその真価を発揮することを示唆しています。大阪での異例の活躍と、震災への真摯な向き合いを通じて得た深い洞察は、彼のキャリアと人間性に大きな影響を与えたことでしょう。日本全国の視聴者は、彼の東京での今後の活躍に大きな期待を寄せています。


参考文献: