年末年始の帰省シーズン、手土産選びは頭を悩ませるものですが、中には「切腹最中」のように、そのユニークな逸話で人々の記憶に残る品もあります。東京・新正堂の「切腹最中」は、浅野内匠頭が切腹した跡地に店舗があることに由来し、「切腹したいほど反省している」という証券マンの逸話が残るなど、ただのお菓子以上の「土産話」を提供しています。この記事では、東京土産としてあまりにも有名な二つの銘菓、「ひよ子」と「東京ばな奈」に隠された、知られざる誕生秘話と人気の秘密に迫ります。
ひよ子:福岡生まれ、東京育ちの人気者
東京駅で長年にわたりトップクラスの人気を誇る銘菓「ひよ子」。しかし、この愛らしい姿のお菓子が、実は東京生まれではないことをご存知でしょうか。そのルーツは、なんと遠く離れた福岡県にあります。
「ひよ子」は、1906年12月1日、福岡県筑豊の飯塚町(現・飯塚市)で誕生しました。当時の飯塚町は炭鉱の町として栄え、多くの菓子店が軒を連ねる甘味の宝庫でした。この地にあった菓子店「吉野堂」の二代目店主・石坂茂が、夢に見たひよこの形をヒントに考案したのが、この「ひよ子」でした。茂は進取の気性に富み、早くから東京への進出を計画していました。
転機が訪れたのは、1964年の東京オリンピックの年。埼玉県に工場が設立され、その2年後には東京駅八重洲地下街に直営店がオープンしました。さらに決定的な出来事は、1985年の東北新幹線上野乗り入れです。上野駅のキヨスクで「ひよ子」を買い求め、帰省土産とする利用客が続出しました。彼らが「東京で買って来た」と言ったことから、「ひよ子」は東京土産として広く認知されるようになったのです。1988年には、上野に関連会社「株式会社 東京ひよ子」が設立され、その地位を確固たるものにしました。
福岡出身者が東京で「ひよ子」を土産にもらい、驚くエピソードは福岡では頻繁に語られる笑い話となっています。なお、福岡の「ひよ子」は湿度の関係で焼きが強く、東京のものよりも少しスマートな形をしているといわれています。また、福岡では通常の5倍サイズの「大ひよ子」が地域限定で、東京では冬季限定の「紅茶ひよ子」や夏季限定の「塩ひよ子」など、それぞれに特色ある商品が展開されています。
ひよ子本舗吉野堂の銘菓「ひよ子」が東京駅で高い人気を誇る様子
東京ばな奈:「第二のふるさと」が育んだ郷愁の味
「ひよ子」と並び、東京土産の定番として約30年にわたり高い人気を誇るのが、「東京ばな奈 見ぃつけたっ」です。このお菓子の誕生にも、開発者の並々ならぬ思いが込められていました。
発端は1989年、洋菓子ブランド「銀のぶどう」を運営するグレープストーンに、催事出店の話が持ちかけられたことでした。当時の同社には、手軽に買える土産品がありません。そこで経営陣は「これぞ東京名物というものを作ろう!」と意気込み、老若男女に愛される一品を模索しました。しかし、「東京の特産品」という視点だけではアイデアが行き詰まります。
そこで発想を転換し、「東京を第二のふるさとと捉え、そんな人々に広く親しまれ、思い出に残る味は何だろうか?」と考えました。その結果、大人にとってはかつて高級品であり、子どもには身近な存在である「バナナ」がモチーフとして選ばれました。
しかし、これだけでは「ご当地色」が出ないため、あえて商品名に「東京」の二文字を冠しました。また、親しみやすさを出すために「ばな奈」とひらがな表記にし、「見ぃつけたっ」と加えることで、かくれんぼのような懐かしさや郷愁の感情を添えています。パッケージに施されたリボン柄も、女性らしさを感じさせるデザインとして、多くの人に愛され続けています。
東京の物語を伝える銘菓たち
「ひよ子」と「東京ばな奈」は、いずれも東京駅のホームや土産物店で多くの人々を魅了し続ける人気銘菓です。しかし、その裏には、故郷福岡から東京への挑戦の物語や、「東京」という場所が持つ多様な顔と人々の感情を映し出した開発秘話がありました。単なるお土産としてだけでなく、これらの物語を知ることで、私たちは菓子一つ一つに込められた歴史や文化、そして人々の思い出に深く触れることができます。帰省や旅行の際には、ぜひその背景に思いを馳せながら、これらの特別な「土産話」を味わってみてはいかがでしょうか。





