俳優・田宮二郎を死に追いやった「M資金詐欺」の魔力

終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が日本から接収したとされる莫大な秘密資金、通称「M資金」。その存在を匂わせ、架空の融資話を持ちかける詐欺は、長年にわたり多くの経営者や資産家、さらには著名人を欺き、甚大な被害をもたらしてきました。その中でも特に世間の注目を集めたのが、俳優・田宮二郎氏を巡る悲劇です。彼はどのようにしてこの巨額の「融資話」に巻き込まれ、そしてなぜ壮絶な最期を迎えることになったのでしょうか。本稿では、M資金詐欺の巧妙な手口と、田宮二郎氏の事例を通してその恐るべき魔力を紐解きます。

M資金詐欺の起源と手口

「M資金」という言葉は、終戦直後の混乱期に広まった、GHQが日本の財産を隠匿しているという根拠のない噂に端を発します。この荒唐無稽な話は、時代とともに姿を変えながらも、なぜか多くの有力者を魅了し続けてきました。詐欺師たちは、一般には知り得ない「莫大な秘密資金」の存在をちらつかせ、その融資を受けるためには準備金や手数料が必要だと迫る手口で、経営者や資産家から多額の金銭を騙し取ってきたのです。その被害は計り知れず、社会問題としてたびたび浮上してきました。

田宮二郎を蝕んだ2000億円の融資話

俳優・田宮二郎氏(本名:柴田吾郎)の悲劇が明らかになったのは、1978年末のことです。テレビドラマ「白い巨塔」で冷酷な外科医を演じるなど、その存在感で知られた田宮氏は、学習院大学出身の秀才で、俳優業の傍ら実業家としても活動していました。そんな彼のもとにM資金まがいの融資話が持ち込まれたのは、自殺の約1年前、1977年11月頃とされています。

「占領下にアメリカの映画を輸入していた“モーション・ピクチャー・エクスチェンジ・アソシエーション”には、実に2000億円ものプール資金がある。必要ならば骨を折ろう」――。この言葉に田宮氏は疑念を抱かず、巨額の資金が手に入ると信じてしまいます。

散弾銃による自殺から45年、今も語り継がれる俳優・田宮二郎氏散弾銃による自殺から45年、今も語り継がれる俳優・田宮二郎氏

資金受け入れの準備として、田宮氏は慌ただしく行動を開始します。東京・元麻布の自宅隣地を「迎賓館用地」として1億円で購入し、さらに南麻布のマンション3戸を事務所用に2億4000万円で取得しました。また、巨額資金の使い道として倒産した無線会社の再建を企図し、さらには投資機会を求めて「国王特別顧問」なる人物と共に南太平洋の島国トンガにも渡航していました。しかし、これらの準備には多額の費用がかかり、田宮氏の現実の資金繰りは苦しくなっていきます。彼は取得した迎賓館用地を担保に、仕手筋として知られる実業家で参議院議員も務めた糸山英太郎氏が経営する会社から6000万円の融資を受けていました。

経済的困窮と悲劇的な結末

結局、田宮氏が約束された巨額のM資金を目にすることは、ついぞ叶いませんでした。2000億円という夢のような話に翻弄され、多額の資金を投じて準備を進めたものの、実際には一銭も手に入らず、彼は次第に経済的に追い詰められていきました。そして1978年12月28日、田宮氏は43歳の若さで自らの命を絶ちます。散弾銃を自らの口に向け、足の指で引き金を引くという壮絶な死は、世間に大きな衝撃を与えました。彼の死の背景には、このM資金詐欺まがいの融資話があったと直後から報じられ、その悲劇はM資金の恐ろしさを改めて浮き彫りにしました。

まとめ

俳優・田宮二郎氏の事例は、M資金詐欺がいかに巧妙で、人の心理を巧みに操るかを示す痛ましい教訓です。彼の知性と社会的地位をもってしても、巨額の利益という誘惑と、それが現実のものとなるかのような演出から逃れることはできませんでした。M資金詐欺は、現代においても形を変えながら存在し続けており、安易な巨額融資話には常に警戒が必要です。今回の記事を通じて、読者の皆様がM資金詐欺の危険性を再認識し、同様の被害に遭うことのないよう注意を促すことができれば幸いです。