女優・大原麗子さんの孤独な最期:弟が語る生前の素顔と豪邸売却の困難

2009年8月6日、日本映画界を彩った大女優、大原麗子さんが62歳で世田谷区の自宅にてひっそりと亡くなりました。数日前から連絡が取れないことを心配した実弟の政光氏が警察と共に自宅へ踏み込んだ際、ベッドの下で仰向けに倒れている変わり果てた姉の姿を発見したといいます。その死は、まさに孤独死でした。この悲劇から時が経った今、弟の政光氏がNEWSポストセブンの取材に対し、生前の大原麗子さんの知られざる素顔や、彼女が残した豪邸の売却を巡る困難について語りました。

2009年8月6日に世田谷区の自宅で亡くなった大原麗子さん2009年8月6日に世田谷区の自宅で亡くなった大原麗子さん

発見された悲劇の最期

大原さんの訃報は日本中に衝撃を与えました。司法解剖の結果、亡くなったのは同年8月3日頃と推定され、死因は不整脈による脳内出血とされました。政光氏が語った発見時の状況は、姉を想う弟の胸中を深く表しています。「裏口の開いている窓から入り、急いで2階に上がって寝室の部屋へ向かうと、姉はベッドの下に仰向けで床に倒れていました……」。この言葉は、大原さんの最期の様子を生々しく伝えています。

若すぎる死の真相と晩年の苦悩

「少し愛して、なが~く愛して」というキャッチフレーズのウイスキーCMで一世を風靡した大原麗子さんは、数多くの映画、ドラマ、CMでその存在感を示しました。しかし、晩年は難病であるギラン・バレー症候群の症状が悪化し、さらに躁うつ病も患っていたため、女優業を休止せざるを得ない状況にありました。こうした病との闘いの最中での死は、彼女のファンにとって深い悲しみとなりました。

弟が明かす、姉・大原麗子の素顔

政光氏は、亡くなる1ヶ月前に大原さんが実家を訪れた際、可愛がっていた甥に会えずに非常に落胆していたことを明かしました。それ以降、何度か電話をかけたものの繋がらなかったといいます。そしてある日、大原さんの自宅近くの警察署から「様子がおかしい。一緒に見に行ってくれませんか」という連絡がありました。大原さんが以前「一日署長」を務めた縁もあり、地元の警察署が彼女を気にかけて、定期的にポストにメモを投函するなど、見守ってくれていたとのことです。政光氏は、生前にもっと連絡を取っていればと悔やんでいます。

甥への愛情と厳格な礼儀作法

大原さんは、甥を自分の子供のように可愛がっていたそうです。しかし、決して甘やかすことはなく、食事の際のマナー一つとっても「クチャクチャ音をたてない!」と厳しく指導するなど、礼儀作法には非常に厳しかったといいます。このエピソードからは、大原さんの愛情深さと、人としての基本を重んじる一面が垣間見えます。

女優としての葛藤と遺品整理の苦労

生前の大原さんはアンティーク雑貨を好み、自宅には高価なクラシック時計をはじめとする多くの品々がありました。政光氏は、遺品整理の困難さに加え、大原さんの個人事務所の引き継ぎ業務にも大変苦労したと語っています。利益がなくても経費がかかり、亡くなってから税金が滞納されていたことも発覚したといいます。ギラン・バレー症候群で体調は悪かったものの、仕事ができないほどではなかったと政光氏は振り返ります。骨折していても観客には悟られないよう演技をしていたというエピソードは、”女優・大原麗子”という存在が彼女の中でいかに大きかったかを物語っています。

3億円豪邸の行方

大原さんが40歳のときに3億円で購入したという、敷地約150坪、2階建て4LDKの豪邸は、彼女が亡くなった後も長く売却されずに残っていたといいます。この豪邸の売却がなぜ難航したのか、政光氏はその理由についても言及しています。

大原麗子さんの死は、その華やかなキャリアの裏に隠された孤独と病との闘い、そして家族との絆を改めて浮き彫りにしました。彼女が最期まで過ごした豪邸跡に新しい家が建った今、多くの人々の心には、永遠の女優・大原麗子さんの面影が残り続けています。


情報源:Yahoo!ニュース/NEWSポストセブン