夢の中で再会する娘は、25年たってもあどけない笑顔のまま。神戸市東灘区の加賀桜子ちゃん=当時(6)=は平成7年1月17日、地震で倒壊した自宅の下敷きになり、短い生涯を終えた。母の翠(みどり)さん(64)は、祖父の幸夫さん(享年75)とともに地元の区画整理事業に奔走した。震災から25年。「桜子に誇れる街になったのかな」と思えるほど、街は見違えるように変わった。震災後には桜子ちゃんの弟になる男の子も授かった。だが、幼い娘を失った悲しみは今も消えない。
「気が優しく穏やかで、何をするにも『じいちゃん、じいちゃん』とくっつくほど大のおじいちゃん子でした」。翠さんは懐かしそうにアルバムをめくる。風呂ではしゃぐ桜子ちゃん、抱っこされる桜子ちゃん、膝の上に乗る桜子ちゃん-。笑顔の隣にはいつも幸夫さんの姿があった。
あの日、木造2階建ての自宅が全壊した。いつものように幸夫さんの隣で寝ていた桜子ちゃんが家族でただ一人、犠牲となった。「じいちゃん苦しい…」。その言葉を最後に、身動きできない幸夫さんの背中で小さな命が消えていった。
「俺が桜子を殺した」「どうしてかばってあげられなかったのか」。幸夫さんは後悔の念に駆られ、酒量も増えていった。
翠さんは気丈に振る舞い続けた。それでも幸夫さんと避難先のテントで2人きりになったとき、感情があふれ出した。「お父さん、1回だけ思いっきり泣かせて」。黙ったままの幸夫さんの膝で子供のようにわんわんと声を出して泣いた。
その後、一家が住んでいた東灘区森南(もりみなみ)地区は市の区画整理事業の対象となった。幸夫さんはまちづくり協議会の会長として地域の再建に尽力。翠さんも連日開かれる協議会に参加し、意見を出した。「桜子に誇れるまちづくりを」。それが2人の原動力だった。
震災から2年後の9年、市は一度決めた道路計画を見直し、住民の意向を受け入れる形で事業に着手。17年に事業が完了し、それを見届けるかのように21年、幸夫さんはこの世を去った。