「もっと丈夫な家を建てていればよかった」。25年前の阪神大震災で妻の妙子さん=当時(47)=を亡くした神戸市長田区の元郵便局長、橋詰義郎さん(76)は、妻と過ごした25年間と同じ間、自責の念にさいなまれ続けてきた。心の苦しみを紛らわせるかのように、郵便局長を引退後も自治会長として地域防災に取り組んできた。「天国で褒めてくれたら」。妻への思いを胸に震災から丸25年となる17日、地元の小学校で講演する。(木下未希)
あの日午前5時46分、激震が街を襲った。長女と長男の4人で暮らしていた神戸市長田区の木造2階建ての自宅は一瞬で崩れ落ちた。1階で寝ていた橋詰さんと妻の妙子さんが生き埋めになった。
「頑張れ。生きろ」。自身も身動きの取れない状態だったが、妙子さんの手を握りながら必死に励まし続けた。「子供は大丈夫なの」。その言葉を最後に妙子さんの声は途切れた。
橋詰さんは午前7時頃に助け出されたが、妙子さんが救出されたのはその約4時間後。病院に搬送されたが、長時間下敷きになっていたことによるクラッシュ症候群で亡くなった。
妙子さんとは昭和45年に結婚。口下手な自分に常に優しく寄り添ってくれた。父が開業した神戸本庄郵便局を継ぎ、局長になった橋詰さんを「郵便局長は地元の名士だから」と持ち上げてくれた。料理や刺繍(ししゅう)も得意だった。震災直前には長男の大学の推薦入試が決まり、家族の誰よりも喜んでいた。自慢の妻であり、良き母でもあった。