世界の紛争地域で支援活動に携わり、現在はスイス・ジュネーブにある「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(通称・グローバルファンド、GF)」の戦略・投資・効果局長を務める医師の國井修氏。「No One Left Behind(誰も置き去りにしない)」を人生のテーマに掲げる國井氏が誰も置き去りにしない社会を目指すヒントを探る4回目の対談が、フランス大使などを歴任した元外交官の飯村豊氏をゲストに行われた。日本の海外援助の最前線にかかわってきたふたりが振り返った「海外援助」のリアルな世界とは…。
國井 飯村さんといえば、外務省官房長をしていらしたときの田中眞紀子外相(当時)との対立が注目されましたね。
飯村 あのころの私は有名人でした(笑)。娘が「(電車の中づり広告の)外務省の4悪人という写真にお父さんの顔があったよ」って。当時はあのように国民的な人気と既存の政治・官僚システムに対する批判や不満を背景に上りつめていくタイプの政治家はあまりいなかったですが、最近は多くなっているような気がします。米国のトランプ大統領、英国のボリス・ジョンソン首相…。
あの頃、世論の外務省への風当たりは誠に厳しいものがありました。冷戦直後に起きた湾岸戦争での日本外交の対応は国外から厳しく批判されましたし、そもそも米ソ対立が消失した中で日本外交はどこに行くのか不安感を国民が持つ中で、いわゆる機密費の私費流用事件をきっかけに、外務省は国益を考えていないのではないかとの怒りが強まりました。
そのような雰囲気の中で田中真紀子外相が、財務省は伏魔殿だからこれを正すとの旗を立てられ、当初は国民的支持も大変高いものがありました。
外務省に不正があれば厳しく正すことは当然ですが、あの時知ったのは、あのようにポピュリズム的な大臣が一点集中的なリーダーシップをふるわれると、省内間の亀裂が深まり、本来あるべき外交に関する自由な議論が止まり、外交が動かなくなるということでした。