クイーン+アダム・ランバート来日公演 熱気はまるで映画の続き

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 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットして、日本での人気の高さを改めて証明した英国のロックバンド、クイーン。その「現在形」であるクイーン+(プラス)アダム・ランバートが来日した。さいたま市のさいたまスーパーアリーナで行われた公演を2夜連続で見たが、いずれも熱気に満ちていた。(石井健)

 映画はクイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの半生を描き、平成30年に公開。歴代17位の興行成績を記録する大ヒットになった。

 来日公演は、その余韻が漂う31年4月に発表されたので、ファンにとっては映画の続きを見るような期待感があったに違いない。東京(さいたま)、大阪、名古屋での計4公演は、すべて完売。延べ13万7千人の観客が駆けつけた。

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 映画が描いた後のクイーンは、1991年にマーキュリーがエイズで死去。ベースのジョン・ディーコン(68)は、演奏家を引退してしまう。一方、ギターのブライアン・メイ(72)とドラムのロジャー・テイラー(70)は、クイーンの音楽を後世に“歌い継ぐ”プロジェクトに取り組む。

 まず2005年、ロック界の大御所歌手、ポール・ロジャース(70)を迎え、「クイーン+ポール・ロジャース」を名乗って、世界を公演して回った。意外な人選といわれたが、音楽ライターの増田勇一(59)は「マーキュリーの“代役”となれば議論百出だが、大御所を据えれば誰も文句はいえないという深謀遠慮」と推測する。

 平成17年に来日。男くさいロジャースの持ち歌も交えて、いかにもロックバンドのたたずまいだった。「私は好きだった」と振り返る音楽評論家の東郷かおる子は、「だが、マーキュリーの幻影を追い求める人には受け入れがたかった。そういう人たちが歓迎したのがランバート」と話す。

 ロジャースとの座組みを4年で解消した2人が2009年、米オーディション番組に客演した際、出会ったのが歌手志望の出場者、ランバート(37)だった。「クイーン+アダム・ランバート」の誕生だ。

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 暗転した会場に「イニュエンドウ」の重厚な導入部が鳴り渡り、王冠を模した装置が上昇を始めた。オペラ座を想起させるしつらえの舞台が姿を現すと、メイが「ナウ・アイム・ヒア」の導入部を奏で、歓声が爆発した。

 ランバートは、「神の声域」と称される歌唱力でクイーンの難解な歌も完璧に「再現」した。あまりにも美声。ロックではなく、ミュージカルの一幕を見ているような不思議な気分になったが、ドラマチックな展開に3万人の観客は、まさに映画の続きを見る思いだったのではないか。

 一方で、バラードの「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」は、メイが弾き語りで披露するなど、マーキュリーの記憶に深くつながる部分にはランバートは関与せず、メイもしくは映像で現れたマーキュリー自身が担ったのも印象的だった。

 かつてマーキュリーは「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」の途中で観客に唱和させ、「ビューティフル」と応えていたが、メイも25日は「ビューティフル」、26日は「パーフェクト」と観客をたたえ、マーキュリーの思い出を共有した。

 1月25、26日ともに、2時間15分。

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