人間への興味尽きず 不条理を軽やかに 別役実さん死去





劇作家の別役実さん

 別役実さんが多作で知られる江戸の戯作者、鶴屋南北の作品数を超える138本目の戯曲「不条理・四谷怪談」を書き下ろした際、初めて取材した。晩年苦しめられたパーキンソン病が悪化する前、平成25年5月のことだ。

 額に巨大な絆創膏を2つも貼って現れた別役さんに、記者が目を丸くしていたのだろう。別役さんは「壁にぶつけました。(南北作の四谷怪談が原作なのに)まだ於岩稲荷(おいわいなり)にお参りしてないので、たたりです」と表情を変えず、大まじめな顔で話した。虚構と現実の間を縫い、軽やかに語る不条理-。それは作品世界と共通すると感じた。

 戦後、日本に不条理劇を定着させた張本人である。演出家が脚光を浴びる時代、劇作だけに集中。デビュー作「AとBと一人の女」(昭和36年)以来、主に登場するのは記号化された「男1」「女1」らで、日常に潜む不可思議を書き続けた。影響を受けた劇作家は野田秀樹やケラリーノ・サンドロヴィッチら多数。だからこそ平成27年、演劇人が協力し合い、連続上演企画「別役実フェスティバル」が開催され、多くの団体が新旧約20作品を上演した。

 別役さんの劇作の背景にあったのは、事件である。一時は「犯罪評論家」を標榜(ひょうぼう)したほどで、実際の事件をもとに書き下ろした戯曲も多数ある。尼崎連続変死事件に着想した「あの子はだあれ、だれでしょね」(27年)では、奇妙な家族の支配関係を、ひな壇上で戯画化して展開させた。

 古典に取材した「不条理・四谷怪談」も、犯罪にいたる人間の不条理を追った作品だ。「忠臣蔵」のサイドストーリーでもある「四谷怪談」で、あだ討ちの“美談”に異をとなえ、「討ち入りへの社会的期待が膨らみ、浪士が参加せざるを得ない空気が生まれたのは“狂気”ではないか」と話したのが、印象的だった。

 お岩を惨殺した伊右衛門を血の通った小市民的存在に描き、「悪の輝きにあこがれる要素が、現代にはある」。難解な作品も多かったが、根底にあったのは、ごく普通の人間が持つ悪への衝動や、降りかかる奇妙な混乱など、理屈では説明のつかない「人間」そのものへの、あくなき興味だったのではないか。(飯塚友子)



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