【聖火は照らす 東日本大震災9年(5)】ラグビーW杯が残した灯火 「復興五輪」体感、子供に好影響



ラグビーワールドカップの盛況を受けてメンバーが急増した釜石シーウェイブスのジュニアチーム=令和元年11月(同チーム提供)
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 「全く実感が湧かない。生活にも仕事にも関係があるとは思えない」

 東日本大震災の津波で580人を超える死者・行方不明者を出した岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)地区でラーメン店を営む紺野時男さん(70)は、近づく東京五輪・パラリンピックにさめた思いが拭えない。

 「復興五輪」を理念に掲げる東京五輪。被災3県のうち、福島で野球・ソフトボール、宮城でサッカーがそれぞれ実施されるのに対し、岩手は唯一、開催競技がない。いわば「蚊帳の外」に置かれている。

少子高齢化が加速

 震災前、同市内でラーメン店を営んでいた紺野さんは、津波で店舗が被災した。翌年から仮設店舗に移ったが、平成30年3月末で店舗の使用期限が切れ、再び営業場所を失った。子供が暮らす盛岡市への移住も考えた。しかし、知人らの勧めもあり愛着のある地元での営業継続を決め、復興整備が進んだ鵜住居地区に昨年8月、現在の店舗をオープンさせた。

 震災から9年が経過し、がれきの山だった沿岸部は整備された。だが、震災前の20年度には約4万1千人だった市の人口は今年2月末時点で約3万3千人に減った。20年後の令和22年には約2万3千人まで減少するとの推計まである。

 紺野さんは「被災地は人が減る一方。釜石がいい例だ」と嘆く。五輪へのさめた視線の裏には、震災で過疎化と少子高齢化が加速し、活気を失った釜石の現状がある。

 そんな釜石でも昨年秋、街全体が熱狂に包まれた。日本代表が初めて8強入りし、列島が沸いたラグビーワールドカップ(W杯)だ。釜石は元々、新日鉄釜石が日本選手権を7連覇したことで知られるラグビーの街。新しく建設された「釜石鵜住居復興スタジアム」でフィジー-ウルグアイ戦が行われ、約1万4千人が詰めかけた。

 台風19号の影響で1試合が中止となり、実施されたのはこの1試合のみ。それでも紺野さんのラーメン店には、外国人も含む多くのラグビーファンが訪れた。「今までに見たこともないような活気だった」と振り返る。

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