〈〈日航機事故40年〉「これからは一緒にやりませんか」遺族と日航OBに“かつて例を見ない”人間関係が生まれた瞬間〉 から続く
【画像】煙を上げる日航ジャンボ機の墜落現場(群馬・上野村の御巣鷹の尾根)
2025年は日航ジャンボ機墜落事故から40年の節目。墜落現場の“御巣鷹の尾根”には、いまでは様々な事故や災害の遺族が集まる。
宮城県名取市の丹野祐子さんもその一人だ。東日本大震災で息子の公太さん(当時、中学校1年生)を亡くした丹野さんは、一冊の本との出会いをきっかけに、御巣鷹山の慰霊登山を始めた。喪失体験者のなかから芽生えた新しい精神文化の光景を、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が伝える( 文藝春秋2022年9月号より )。
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1冊の本の衝撃
冬には仙台平野にも雪が降る。ある冬の日、雪が少し積もったので、公太は寒がっているのではと、勤めに出る前に慰霊碑に立ち寄った。いつも手でなでてやる碑の上面の雪は解けていたが、彫り込んである名前のところだけは、まだ雪が残っていて、文字を白く浮き上がらせていた。思わず公太の文字の上に手をあてた。公太がすぐ傍にいるような気持ちになった。その存在感は、公太の全身が寄り添ってくれるような感じだった。
1冊の本が人の心の持ち方や生き方を大きく変えることが、しばしばある。祐子も心の救いにつながったとも言える本との出会いを経験した。
震災から3年経ったとき、東京から被災地支援に来ていたボランティアの男性と話しているうちに、男性から、「日本航空機事故のご遺族が書かれた本があるのですが、震災の被災者にとっても参考になるようなことが、いろいろと書かれているんです。もしお読みになりたいようでしたら、後でお送りします」
と言われた。祐子は、「ありがとう。お願いします」と答えた。
その男性は、誠実に後日その本を送ってきてくれた。その本は、「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子が3年前の2010年に出版した『御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年』だった。カバーの写真には、焼け爛(ただ)れた事故現場に立ちつくす男性とその足許に泣き伏す女性が写っていて、その背後には機体残骸の一部やなぎ倒され焼け焦げた樹木が散乱している。
特に目を引かれたのは、「9歳の息子を失った私は、悲しみを、力に変えた」という帯の文章だった。
《幼い子を突然事故で失った母親が書いた本なのだ。しかも、悲しみを力に変えたという。どのようにして、そんなことを可能にしたのだろう》