【主張】虐待死の父に判決 無念さ忘れず悲劇なくせ

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 千葉県野田市の女児虐待死事件の裁判員裁判で傷害致死罪などに問われた父親に対し、千葉地裁は「尋常では考えられないほどに凄惨(せいさん)で陰湿な虐待」が長期に及んだと認め、懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。

 しつけなどと称する身勝手な言い訳を排した重い刑は当然である。

 判決が「むごたらしい」とまで指弾した虐待をなぜ長期に許したのか。社会全体で判決を受け止め、幼い命が失われる悲劇の連鎖を断たねばならない。

 痛ましい事件に改めて言葉を失う。死亡した栗原心愛(みあ)さんは当時小学4年、10歳だった。昨年1月、自宅浴室で死亡しているのが見つかった。

 父親の勇一郎被告が冷水のシャワーを顔に浴びせ続けるなどして死亡させた。殴る、寝かせないなど、肉体的にも精神的にも虐待が繰り返され、心愛さんが衰弱した中でのことである。

 被告側は具体的暴行などの一部を否認し、「しつけのつもりが行き過ぎた」「日常的な虐待はしていない」などと反論していた。

 しかし判決は、被告の主張は客観性や脈絡がなく、不自然で信用できないと退けた。

 子供の虐待死事件をめぐっては過去の量刑傾向を斟酌(しんしゃく)し、求刑を大幅に下回る例があり、疑問が呈されていた。今回も量刑が注目されたが、判決は「前例を超えて極めて悪質性が高い」とした。関係者の証言を含め、客観的、冷静に判断した結果だろう。

 判決が被告に対し「悲惨な結果をもたらしたすべての責任は被告にある」と断罪したのはもっともだ。虐待する親が一番悪い。

 そのうえで判決の中では「児童を守る社会的なシステムがどうして機能しなかったのか」と慎重な表現ながら課題をあげた。児童虐待が絶えない中で真剣に考えねばならないことである。

 事件について野田市がまとめた検証報告書では、心愛さんが児童相談所に一時保護されてから少なくとも十数回、行政機関が介入しなければならない状況があったと指摘していた。

 判決ではまた「社会からも身内からも助けてもらうことができないまま、絶命した心愛さんの悲しみや無念さは察するに余りある」とも述べている。

 すべての人が忘れてはならないことである。

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