【よど号事件50年】事件はなぜ起きた よど号グループの顛末



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 昭和45(1970)年3月、共産主義者同盟赤軍派の学生ら9人が日航機を乗っ取り、北朝鮮へ渡った「よど号」事件から31日で50年となる。事件はどのようにおき、そしてどういった展開をたどったのか。

 よど号グループの母体である「赤軍派」は、日本共産党を離党した学生党員らが組織した過激派「共産主義者同盟(共産同)」の最武闘派によって昭和44年9月に結成された。

 東大安田講堂事件の敗北で暴力的な政治運動が支持を失う中、塩見孝也赤軍派議長は、労働者に先立って先鋭化した運動家が武力革命を行うべきだとする「前段階武装蜂起論」を掲げた。

 赤軍派はこの指導方針に導かれて武装強化し、警察当局から厳しい監視下に置かれるようになったが、44年11月、山梨・大菩薩峠で実施した軍事訓練でおよそ50人が逮捕されるなどして勢力を失い、破綻。

 この反省から塩見議長は海外の社会主義国に渡って軍事拠点とし、訓練を受け、日本革命を目指す「国際根拠地論」を打ち出した。よど号事件はこの理論に基づく「軍事作戦」の第1弾だった。

 しかし、よど号グループは北朝鮮で「主体思想」を受け入れて現地に適応。その後、対外工作が強化されると、「対応し、日本国内に極秘潜入するなどして海外での活動を積極化させるようになり、その動向は各国の治安機関から警戒されるようになっていった」(警察幹部)。

 警察当局は、欧州での日本人拉致に関与したとしてメンバーとその妻の計3人を国際手配している。


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 石岡亨さん(62)=拉致当時(22)=と松木薫さん(66)=同(26)=は語学留学などでスペインに滞在していた55年5月ごろ、拉致された。いずれもメンバーの妻、森順子容疑者、若林(旧姓・黒田)佐喜子容疑者が関与したとされ、石岡さんについては両容疑者とバルセロナの動物園で一緒に撮影された写真が見つかっている。

 一方、英国留学中に失踪した有本恵子さん(60)=同(23)=は58年7月ごろ、別のメンバーの元妻に虚偽のアルバイト話を持ちかけられてデンマークに誘い出された。

 有本さんは同国でメンバーの魚本(旧姓・安部)公博容疑者や北朝鮮工作員の男と落ち合ったとみられている。有本さん拉致をめぐっては、元妻が自身の関与を含め、当時の経緯を日本の裁判で証言している。



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