平成23年3月11日の東日本大震災が発生した当時、宮城県の住宅課長として仮設住宅の用地確保に奔走した。震災の被災者のために建設された仮設住宅は県内で2万2095戸。今年4月末、名取市で最後の入居者が退去し、仮設住宅はその役目を終えた。
「平成15年の宮城県北部連続地震時に162戸の仮設住宅の建設に携わった経験がありましたが、東日本大震災当時はあまりの被害の大きさに途方にくれました。(仮設住宅は)担当した者として常に気にかけてきました。被災者の役に立てたなら、仕事をしたかいがあります」
県は震災の前年、仮設住宅の建設用地の候補を自治体ごとに記載した台帳を作成していた。発生から6日後の3月17日、11班態勢で台帳に基づいた調査を開始。この台帳は津波被害を想定していなかったというが、被災地調査で大いに役立った。
「昭和53年の宮城県沖地震では津波の被害はありませんでした。調査してみると、用地も津波被害を受けており、使用できたのは全体の7%ほど。台帳に基づいて調査することによって被災地の詳細な状況が把握できました。やみくもに現地に行くのではなく、調査を始める“種”になったということです。こうした台帳を作っておくことは今後も重要です」
仮設住宅は被災地域内ではなく、近接する市町村に建てる方が復興が円滑に進むと考えた。平成23年4月には県内外の内陸部の市町村、企業から用地提供もあり、3万戸の建設が可能な用地をリストアップした。しかし、被災者からは反対の声が上がった。
「被災者の多くが家族を亡くしており、自分だけが安全な土地に避難することに抵抗があったのです。被災者の心をないがしろにできず、被災地域内での建設を決めました」
同年12月には全戸が完成。ただ、被災者の住まいをめぐってはその後も幾度となく問題に直面した。