横田滋さん死去 かいま見せた怒り、「普通の父親」の素顔 家族「横田家でなく国民の問題に」訴え

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横田滋さんが亡くなったことを受け、会見する妻の早紀江さん=9日午後、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影)
横田滋さんが亡くなったことを受け、会見する妻の早紀江さん=9日午後、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影)

 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で5日に87歳で亡くなった滋さんの妻、早紀江さん(84)ら遺族が9日、死去後初めて公の場で思いを語った。家族会代表として我慢強く奮闘したが、自宅では「普通のお父さん」の喜怒哀楽も見せた。遺族は「苦労を重ねた末、天国に召された」と受け止めながらも深い喪失感をにじませた。

写真で“再会”

 「抱っこしていってね。必ず取り返すからね」。同日の滋さんの出棺。早紀江さんは、めぐみさんが写った新聞記事の切り抜きを棺の中の滋さんの胸元に置いた。新潟・佐渡で撮影した写真。めぐみさんはピンク色のジャケット姿だ。現世ではかなわなかった最愛の娘との再会をいつか、天国で果たしてほしい。そして奪還への決意も込めた。

 平成9年3月の家族会結成後、初代代表として全国を飛び回った。19年11月、血液の難病や体力の衰えなどを理由に代表を退いた後も、国民の誰もが知る救出運動の象徴として、講演回数は約1400回に上った。

 会見に同席した双子の息子で家族会事務局長を務める拓也さん(51)は、「父の手帳は講演日程などで埋まっていた。この月は(自宅がある)神奈川県から出ないようにするとか、そういう風に決めないと体を壊すと言っても、『行くんだ』と聞かなかった」と振り返る。

「済まされない」

 いつも穏やかに笑みをたたえている印象の滋さんだが、あるとき、怒りをあらわにしたことがあった。

 北朝鮮の金(キム)正(ジョン)日(イル)総書記が存命だった時期、酒の進んだ拓也さんが「正日が許せない。ぼこぼこにしてやりたい」と話すと、滋さんは「そんなものでは済まされない」と、拓也さんも驚く剣幕を見せたという。「きっと私たちの何倍も何十倍も頭に来ていたと思う。でもそれを外には見せず、うまく伝えていた。とても強い父親だった」

 平成30年4月に入院後、長らく闘病生活を続けてきた滋さん。早紀江さんは「いつも子供のことばかりを考えていた人で、いろいろなところを旅行した。(滋さんが撮影した)写真がたくさんあって、よい父親だったんだなと病気になってしみじみ感じた」。労をねぎらうように、入院中は滋さんの手や足首などを1日1回、必ずマッサージした。「ずっと闘いの日々だったから、私は何もしてあげられていなかった。恩返しでした」と語る。

一枚岩に

 最近は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、見舞いにも向かえなくなっていた。早紀江さんは自宅のベランダに咲いたバラの花を手紙に描き、病院の受付担当者に渡していたという。

 会見終盤、改めて拉致解決への意気込みを問われた拓也さんは、「父の思いを止めてはいけない。これは横田家の問題ではなく、日本に与えられた課題であるということをみんなが意識し、一枚岩になって北朝鮮に向かっていきたい」と主張。哲也さんは、「父の活動の成果は完全には出ていない。(めぐみさんが)帰国したよと墓前に報告することが、われわれ家族、日本国民の使命だ」と訴え、継続的な支援と連携の必要性を強調した。

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