【一筆多論】「朝鮮戦争」を防ぐ日本の役割 榊原智





北朝鮮との軍事境界線近くにある延坪島をパトロールする韓国海兵隊員ら=16日(聯合通信=AP)

 新型コロナウイルス禍のさなかということもあり、日本ではさほど注目されないかもしれないが、25日は朝鮮戦争の開戦70年だ。

 北朝鮮の攻撃で1950(昭和25)年6月25日に始まり、53(同28)年7月27日に休戦協定が結ばれた。

 犠牲者は数百万人に及ぶ。共産圏の独裁者3人が招いた悲惨な戦いだった。北朝鮮の金日成がソ連のスターリン、中国の毛沢東と秘密裏に協議し、侵攻したのである。

 開戦当時、ソ連が欠席したことから国連安全保障理事会はいくつかの決議を行った。決議は北朝鮮による武力攻撃が「平和の破壊」を構成しているなどと断じ、韓国を助ける国連軍の派遣を認めた。

 日本はどうだったか。

 占領軍の命令で海上保安庁の掃海艇部隊が朝鮮半島沿岸海域に派遣されて働いた。触雷で日本人の死者、重軽傷者が出た。

 北朝鮮軍はミグ戦闘機を飛ばしており、福岡市、佐世保市などでは空襲警報が鳴った。

 釜山周辺まで追い詰められた韓国政府が山口県に亡命政権を建てることが一時検討され、東京から同県への打診もあった。

 いずれも現憲法下の出来事である。

 仁川上陸作戦によって戦況は逆転したが、第二次大戦序盤のダンケルクの戦いでイギリス軍がフランスから逃げ帰ったような事態になる瀬戸際だった。

 戦後日本が一貫して平穏無事だったわけではないということだ。米軍など国連軍へ物資を供給した日本は経済復興のきっかけをつかんだが、この朝鮮特需の文脈だけで朝鮮戦争を理解すべきではない。

 今の日本人が十分に認識していない最たる点は、万一の朝鮮有事に備えて、日本が国連軍を支えているという事実である。

 朝鮮戦争は休戦中にすぎない。日本は朝鮮有事の際の国連軍への「十分な兵站上の援助」を「国連軍地位協定」で約束している。

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