キヤノンの御手洗冨士夫会長
キヤノンの御手洗冨士夫会長は26日、「李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長は時代の流れを読む先見の明がある人だった」と回顧した。経団連会長を務めた御手洗会長は李会長と30年近く交流してきた代表的な日本人脈だ。
彼は10年ほど前に李会長とディスプレー事業の未来に対して熱を帯びた討論をしたことを振り返り、「いまでもその日の夕方に交わした話を忘れることはできない」と話した。以下御手洗会長との電話インタビュー内容を記者が整理したもの。
李健熙会長は時代の流れを読む先見の明があった人だ。非常に静かでソフトな方だったが、とても優秀なリーダーシップとカリスマがあった。最初は家電でサムスン電子の名前を世界に知らしめ、1990年代には『選択と集中』を通じて液晶テレビで、その後は半導体分野を育成し、いまはスマートフォンでそびえ立つ。サムスン電子を世界的企業にした李会長をとても尊敬している。
10年ほど前に李会長とディスプレー市場の未来に対し熱を帯びた討論をしたその日の夕方を忘れることはできない。李会長が突然ソウルにあるサムスンの迎賓館である承志園に私を呼んだ。私はすぐに東京から飛行機に乗ってソウルに飛んで行った。当時ディスプレー分野は液晶・プラズマ・SED(表面伝導型電子放出素子ディスプレー)などさまざまなものがあったが、まだ戦略的にどれが最も良いかわからない状態だった。競合企業であるソニーやパナソニックも同様だった。
李会長は私にさまざまな意見を聞き、私は当時「液晶技術に多少疑問はあるが(液晶テレビが)費用の側面では有利だ」という考えを述べた。李会長は私と意見が一致した。李会長は当時多く話さなかったが通訳なく日本語で対話をしたものと記憶している。
その日1時間近く続いた対話で李会長はサムスンの未来産業を液晶テレビに決めたようだった。その後果敢な大規模投資が続き、サムスンは液晶テレビで世界1位になった。李会長との対話中、判断の正確さ、すなわち決断力に非常に驚いた。色々な人の意見を聞いたが決定は自ら下した。そうした点から時代の流れや技術の流れをよくわかる先見の明があった人であることは間違いない。
ちょうど私が経団連会長を務めていた2006~2010年の期間中に家電部門でサムスンがソニーを抜いて世界1位となった。日本でもサムスンの経営方式は相当な話題となった。李会長はひとつずつするのではなく巨大な資本を背に大きな決断力を持って会社を大きく変えていった。考え方のスケールが非常に大きくダイナミックだった。私をはじめとする日本の多くの経営者がそういた方式をとても尊敬した。李会長も日本との関係を非常に重要視した。
残念ながら李会長の健康が悪化し10年ほど前に会ったのが最後の交流となった。その後李在鎔(イ・ジェヨン)副会長とは何度も会って交流を継続している。2019年には私が組織委員長を務めたラグビー・ワールドカップに李副会長を招いたりもした。李副会長が経営者として立派に成長しただけに李会長も安心していたのではないかと思う。
李会長が残した最も大きなレガシー(遺産)はやはり時代を読む目と決断力だと考える。李会長が健康を回復して必ず再会したかったがそうできないことを本当に残念に思う。