「肌の色より中身」 元コンサドーレ鈴木武蔵選手の思い、体験交え反差別発信

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「肌の色より中身」 元コンサドーレ鈴木武蔵選手の思い、体験交え反差別発信

米国での白人警官による黒人暴行死事件を機に差別への抗議運動が世界に広がった今年、スポーツ界でも反差別の意思表示が相次いだ。今夏、サッカーJリーグ1部(J1)の北海道コンサドーレ札幌からベルギー1部リーグに移籍した鈴木武蔵選手(26)はインスタグラムで自身の幼少期に触れながら、差別のない世界を願うメッセージを発信した。米大統領選でも争点となり、改めて浮き彫りとなった人種差別問題。鈴木選手は「肌の色ではなく中身を見て」と訴えている。

 メッセージの投稿は札幌在籍時の6月3日付。米ミネソタ州で黒人男性が白人警官に暴行され死亡する事件が発生した直後だった。

 「最近人種差別のニュースをよく目にする。この問題ってめちゃくちゃ難しくて、無くしたいとも思うけど僕は無くならないかも知れないとも思ってる」と切り出し、理由について「恐らく自分が幼少期に受けてきた事が影響してるのかもしれない」と続けた。投稿には4歳の時、出生地ジャマイカで撮影された自身の写真も添えられている。

 現在、ベルギーのベールスホットで活躍中の鈴木選手。10月24日、同国アントワープの自宅からオンライン会議システムで北海道新聞の取材に答え、投稿では触れていなかった幼少期の具体的な体験を語った。

 ジャマイカ人の父と日本人の母真理子さん(60)の間に誕生し2000年、真理子さんの実家がある群馬県太田市に移住。小学校に通い始めると黒い肌が珍しがられ、「コロッケ」「ハンバーグ」と呼ばれ、からかわれたという。「自分だけ色が違うことがすごくコンプレックスだった」。真理子さんに「どうしたらみんなみたいな肌になれるの」と尋ね、祖父から「ベビーパウダーを塗ればいいんじゃないか」と言われて何度か試したこともあった。

 そんな鈴木選手を、真理子さんはこう励ましたという。「マミーはあなたの肌の色が大好き。だからそのままでいいの」

 さらに心の支えとなったのがサッカーだ。地元の少年団に入部後、頭角を現した。「ゴールを決めて有名になっていくと、僕を珍しがっていた人も認めてくれるようになった」。同県桐生市の強豪校、桐生第一高を経てJ1(当時)のアルビレックス新潟でデビュー。札幌在籍中の19年に日本代表に初選出され、日本サッカー界の主力選手に成長した。

 米国では5月の暴行死事件を受け、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大事だ)」を掲げた抗議運動が拡大。だがその後も黒人が巻き込まれる事件が相次ぎ、米社会の分断は加速した。そんな状況に「肌の色で判断されるのは寂しい」と漏らす。

 鈴木選手は投稿を「人種が違うだけで命を落としたり貧しい思いをするのは違う。色や外見で判断しないで中身を見よう。人種差別だけでなく色々(いろいろ)な差別が世界中で少しでも無くなりますように」と結んだ。取材では「自分の持つ色に誇りを持って生きることが大事。その上で互いを尊重しあえる社会になってほしい」と訴えた。今後も自身の思いを発信していくという。(加藤祐輔)

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