今年、降ってわいたように出現した「新型コロナウイルス」は、私たちの暮らしを激変させました。いきなり窮地に立たされ、戸惑い、迷う日々を送る人はたくさんいます。コロナ禍を生きる人たちの声に耳を澄ましました。
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元アパレル経営者・40歳、男性/高校卒業後、フリーターに。アパレル関係、舞台の裏方のアルバイトなどを経験した。
■あっ、会社なくなる
コロナの影響で、18年間やってきたアパレル会社がつぶれました。負債は1億円を超えます。個人としても破産の手続きを進めることになります。
30~60代ぐらいをターゲットにした婦人服や小物のセレクトショップを展開していました。最後は神戸・元町や大阪に店舗があって、ネットショップも手掛けていました。
コロナの影響が出始めたのは1月末からです。商品の入荷が遅れ始めました。婦人服業界って、90%が中国とかアジア系に頼ってるんです。メイドインジャパンとか言っても、ボタンや生地が中国製とか。まずは中国からの出荷がストップし、2月に入ると仕入れがパタッと止まりました。店は開けてましたが、雲行きが怪しいなぁと。
■まず、韓国の工場が止まった
例年、1月下旬には春物を店に並べます。でも今年は用意できないので、去年の余りとかメーカーの在庫商品とかで回しました。
そうこうしていると、次は韓国の工場が完全にストップしましたね。
大阪にあった店、クラスターが発生したライブハウスの近くやったんです。店は開けてましたが、誰も来ませんよ。ただ売り上げはなくても、経費はかかる。
3月上旬、売り上げが急減した事業者を支援する貸付制度ができるって報道で知りました。すぐに税理士集めて資料作って、政府系金融機関に持って行きました。少しでも早く融資を受けたかった。
でも面接で、男性の職員に言われたんです。「アパレルが苦しいのはコロナじゃないですよね。暖冬の影響ですよね」って。
実は年末、ひどい暖冬で冬物が売れず、先を見通して金融機関と協議の上、融資の返済をストップしました。計画通りだったのに、そこにコロナです。だから事前に経済産業省に電話して「うちにも適用されますか?」って聞いたら「今回は信用状況に関係なく対応します」って言われたんです。だから申請したのに…。
4月上旬、担当者から電話があり「融資できない」と正式に伝えられました。
頭、真っ白です。「なんでですか!」とかワーっと言ったと思うんですけど、よく覚えてません。
あっ、会社なくなる。そう思いましたね。
■融資? 御社は無理ですね…
会社が倒産しました。
当たり前のものをなくした喪失感は大きいです。
金融機関に融資を申請したけど、断られました。
その時、電話の向こうで担当者が言ったんです。「返せるとこに優先的に貸すんです」って。コロナに打ち勝つためにたくさんの会社が融資を求めているんです。なのに「御社は無理ですよね」というようなことも言われました。
社長としてずっと、会社を残す方向で動いてきました。自分のお金もウン千万円、つぎ込んで。店は4月上旬から閉めていても、従業員には給料を出さないといけないし…。
僕の生命保険も解約して会社に入れました。母親が子どものころから掛けてくれていたものです。
倒産は4月半ば。負債は1億円を超えます。調査会社の倒産情報でね、「コロナ認定」ってなってたんです。
何、これ?って思いましたね。「認定」するなら、少しでも助けてもらいたかった。
社長って、失業保険の制度がないんですよ。だから僕自身も破産の手続きに入ることになるんです。
■一瞬、死を考えた
会社つぶれてですか?
そうですねぇ、心臓がえぐられた気持ちです。一瞬、死は考えました。生きてる価値ないなぁって。
でもね、生命保険まで取られて、死ぬ価値もないんやって思いました。だって生命保険って、死んだら自分のお金を家族に残すわけでしょ。それもない。なので、生きるしかないと。
コロナでしんどくなって以降、ほんと孤独でした。
妻も一緒にやってきた会社なんです。だから思い入れがあったんです。でも、妻にもお金のことは相談していません。経営がしんどいのは気付いていたと思いますけど。
倒産する少し前、僕と妻、弁護士で話をしたんです。金融機関から借り入れもできず、会社が倒産する-と。妻はまぁ、静かに聞いてましたね。
倒産で廃業する時って、弁護士が店に紙を張りに行くんです。そこで関係者に初めて伝えることになるみたいで。「従業員にも会わないでください」と言われていました。良かったのか悪かったのか分かりませんけど、コロナの影響で店には誰もいなかったんで、1人で店の片付けができたんです。
最後の心のけじめがつきました。
■倒産します、すいません!
会社の倒産に合わせ、従業員や取引先に通知が郵送されるんです。弁護士からは直接、連絡を取らないように言われていました。
でも、だめですね。朝8時ぐらいから、取引先にLINE(ライン)を送り始めました。もう、ぼろ泣きです。「倒産します、すいません!」って。
その後、中心になって支えてくれた従業員に会いに行きました。女性のスタッフ3人です。自分の口で説明したかった。会うのも久々だったんで、「元気でしたか?」って聞いて、倒産の経緯とかを話して…。コロナ禍で泣いたの、後にも先にもこの日だけです。
やっぱりね、きれいに終わることはできないんだけど、できる限りのことはしたかった。取引先のメーカーの中には数百万円の損失を出させてしまったところもあります。商品を仕入れたのに、会社がつぶれて支払いができない。めっちゃ迷惑、掛けてます。
それなのに「(損失を)そんなん少ない、少ない」って言ってくれるんです。1円でも迷惑掛けたらあかんのに。
法律と人情って、違うと思うんです。個人投資家とか元従業員とか、迷惑掛けた人たちが優しい声を掛けてくれました。
だから負い目、めちゃめちゃあります。
■全責任は社長です
会社つぶれて何がつらいって、居場所がないのが一番つらい。
会社の本部は神戸市内のビルの一室。そこには僕のデスクがあって、いつものメンバーがいて…。物理的にも、うーん、精神的な居場所も失ったんかなぁ。
会社がつぶれた全責任は社長です。何があっても耐えられる会社をつくっておかないといけなかった。国が悪いわけじゃない。でもこの国って、すぐには再起できないんです。僕自身、収入もなく、破産します。
倒産直後、誰かの下で働きたいって思ったことがあるんです。月末を楽しみにしてみたいなと。経営者は月末、支払いとかで頭痛いんですけど、サラリーマンは給料が入るでしょ。
そしたらサラリーマンの知り合いに「月末に給料入るんは当たり前や!」って言われました。考え方にずれがあると感じましたね。僕には経営者の感覚が染みついてるんやと思います。
倒産から3カ月近くが過ぎました。日に日に自分でまた何かやりたいなあって思い始めてます。
まぁ、再起は簡単じゃないですけど。
(聞き手・紺野大樹)