立皇嗣の礼 装束「昇る朝日の色」奈良時代に規定

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立皇嗣の礼 装束「昇る朝日の色」奈良時代に規定

 立皇嗣の礼で秋篠宮さまが着用された装束は「黄丹袍(おうにのほう)」と呼ばれる。鮮やかな赤だいだい色は「昇る朝日の色」といわれ、奈良時代の養老律令の衣服令で皇太子の装束の色と規定された。

【写真6枚】厳粛に挙行された「立皇嗣宣明の儀」

 明治以降の立太子の礼を振り返ると、お召し物には儀式の形式や、皇太子の年齢などにより変遷がある。

 明治22年、当時10歳で立太子を迎えた大正天皇は、洋装で儀式に臨んだ。大正天皇実録などによると、大正天皇は住まいで、「学習院生徒服」姿で勅使から皇太子の守り刀とされる「壺切御剣(つぼきりのぎょけん)」を受け取り、その後、陸軍の正装で宮殿を訪れ、明治天皇と面会した。

 昭和天皇は、大正5年に立太子の礼を迎える。「立儲令」に基づき、皇居・賢所で行われた儀式では、装束を着用。ただ、当時15歳と未成年だったため、冠ではなく「空頂黒●(くうちょうこくさく)」という被(かぶ)り物と、両わきの袖付けの下を縫い合わせない「闕腋(けってき)の黄丹袍」という未成年用の装束だった。

 上皇さまは昭和27年、18歳で立太子の礼に臨まれた。これに先立ち、同じ日に成年式が行われたため、立太子の礼では成年の証しである冠と黄丹袍をご着用。平成3年の天皇陛下のときも、31歳の成年皇太子として黄丹袍に身を包まれた。

 今回、秋篠宮さまが54歳で臨まれた立皇嗣の礼の「宣明(せんめい)の儀」では、秋篠宮妃紀子さまも、十二単(ひとえ)の略装にあたる「小袿(こうちぎ)・長袴(ながばかま)」の古装束で同席された。

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