石原慎太郎さん「墓石に『青嵐報国』と入れてほしい」思い伝えていた…家族葬で息子4人に送られ旅立つ

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石原慎太郎さん「墓石に『青嵐報国』と入れてほしい」思い伝えていた…家族葬で息子4人に送られ旅立つ

石原慎太郎さんの棺を持つ(左手前から)次男・良純、四男・延啓氏、(右手前から)長男・伸晃氏、三男・宏高氏ら子供たち

 午後3時過ぎ、静かな住宅街にクラクションの音が響いた。棺(ひつぎ)は、長男で元自民党幹事長の石原伸晃氏、次男でタレントの良純、三男で衆院議員の宏高氏、四男で画家の延啓氏らの手で霊きゅう車へ。「先生ありがとうございました!」という参列者の声とともに車は出発。手を合わせて最後のお別れをする中には、親戚でもある小泉純一郎元首相の姿もあった。

 出棺後、兄弟は自宅前に並び、喪主を務めた伸晃氏が「生前、父・石原慎太郎に賜りましたご厚情に心を込めまして感謝申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」と頭を下げた。2期目の都知事選(2003年)の際に撮影されたという遺影を抱えた良純は父の顔を見つめ、肩を震わせた。

 戒名は「海陽院文政慎栄居士(かいよういんぶんせいしんえいこじ)」。棺には自著「私の海の地図」が入れられた。今後は、先祖代々が眠る逗子市の海宝院に納骨される。

 秘書を務めた楠田盛男さんによると、石原さんは生前、「墓石には『青嵐報国』と入れてほしい」と言っており「忘れるなよ」と強く念を押されたという。楠田さんは「(1973年結成の)青嵐会で活躍したときの自分がピークだという思いがあったのだと思う。墓石にはこれから文字を入れる予定。先祖の墓に入れるか、別で作って入れるかはこれから検討していく」と明かした。

 家族葬に先立ち、午前中には岸田文雄首相が弔問に訪れ、「お亡くなりになられた今、改めてその存在の大きさを痛感しております」と悼んだ。お別れの会は新型コロナウイルスの感染状況を見ながら5~6月頃の開催を検討しているという。

報知新聞社

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