炎が上がり、激しく燃える民家=7日午前7時10分ごろ、福岡県嘉麻市下臼井(読者提供)
「もうやめちょきっ」。制止も聞かず、炎が上がる自宅に水を掛け続けた。中には妻、四女、長男、そして3歳の孫がいたとみられる。命を懸けた消火活動が、坂本憲介さん(69)の最期の姿となった。
【写真】勤め先の車には、亡くなった坂本憲介さんの帽子や工具箱が置かれていた
7日朝、福岡県嘉麻市の住宅街で4人の遺体が見つかった火事現場。週末を共に過ごした「仲良し家族」を猛火がのみ込んだ。駆け付けた親戚や近所の住民らはなすすべなく、焼け崩れる家屋を見守るしかなかった。
「全身真っ黒になって水を掛けていた」。ボンボンと大きな音が響いた現場で、必死に火を消そうとする坂本さんを見たという近所の男性(72)は証言する。大やけどを負い、担架で運び出されながらも「大丈夫、大丈夫…」と周囲に気を配っていたと、別の住民も明かす。午後1時28分、坂本さんは搬送先の病院で息を引き取った。
「家族を助けたかったんでしょう」。坂本さんが勤めていた会社の社長(54)は思いやった。隣の同県桂川町の建設会社で最年長ながら毎朝午前7時すぎに一番早く出勤し、仕事に精を出す「頼れる職人だった」という。朝から姿がなく、心配していたところ悲報に接し「パニックになった」と顔をゆがませた。
「孫を家族全員でかわいがり、まるで漫画『サザエさん』のような、うらやましいほどの仲良し家族だった」。一家を知る近所の女性(31)は話す。息子が孫と同じ保育園に通っており「息子に(火事のことを)伝えるのがつらい」と声を詰まらせた。
近隣では「長男は子どものために仕事を掛け持ちして昼も夜も働いていた」「四女も孫と一緒によく遊んでいた」との声も聞かれた。看護師として働いてきた妻は脚を痛めていたといい「逃げ遅れたのではないか」と話す住民もいた。
近所の田中末勝さん(68)は年末年始に、坂本さんが孫の三輪車を押すのを見掛けた。火災前日に会った際、坂本さんは「仕事は朝早くて大変だけど、孫のために頑張らないと」と話していたという。
(大橋昂平、坂本公司)