10年前と同様に、咲き誇る桜の下を歩く観光客ら。惨劇の記憶を伝えるものは、現場にない(6日、京都市東山区・祇園)
2012年4月に京都市東山区の祇園で、暴走した車にはねられて観光客や地元住民ら7人が死亡した事故は、12日で発生から10年を迎えた。最愛の妻やきょうだいの命を突然に奪われた遺族たちにとって、消えない喪失感と向き合いながら歩んできた歳月だった。
柔らかな風に、薄紅色の花びらが舞う。3月末、埼玉県蕨市の自宅に近い公園で、鴨下秀明さん(75)は満開の桜に複雑な表情を浮かべた。「ようやく、きれいだと感じるようになったね。以前は事故を思い出す方が強かったから…」
10年前の4月12日、妹の孝子さん=当時(62)、蕨市=は観光旅行で訪れた祇園で、多数の歩行者とともに事故に遭い、命を絶たれた。あの日も桜は咲き誇っていた。
秀明さんと孝子さんは3人きょうだいの次男と長女で、「人に自慢できるほど仲は良かった」。事故前は月に2度ほど、埼玉県内の実家に集まり、食事をしていた。秀明さんはジーンズを買うと、裁縫が得意な孝子さんにいつも裾上げを頼んでおり、「もうちょっとセンスの良い服着なよ~」と冗談交じりに言われたことが、思い出に残っているという。
そんな妹を突然失ったショックは、秀明さんの心に深い傷を残した。夜、寝ていると涙がほおを伝い、ふと目が覚めてしまう。退職祝いにと孝子さんから贈られたウイスキーは、在りし日の姿を思い出してしまうのか、今も飲めずにいる。
歳月は少しずつ、心を癒やしてきた。ただ、秀明さんは妹と似た後ろ姿の女性を見ると、「生きているんじゃないか」と今も考えてしまう。「一生、続くんでしょうね。悲しみは薄れても、消えはしないのかな」
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大阪府豊中市の岸本貞巳さん(79)は、スーパーで買い物をする時、事故で犠牲になった妻の真砂子さん=当時(68)=の不在をかみしめる。「これの方が質がいい」「こっちが安い」と品定めをする妻との会話を楽しんだ日々が、よみがえってくる。
旅行好きだった妻の最後の言葉は「帰りは遅くなるからね」。いつになったら帰ってくるのか―。そう思い、ふとした瞬間にスマートフォンに保存している真砂子さんの写真を見つめるという。