見つかった50年前の「看護記録」
CBCテレビ
残留日本兵・横井庄一さんの「看護記録」が今月、東京・新宿区の国立国際医療研究センター病院から届いた。
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横井庄一さんは、1972年2月2日から4月25日まで84日間、この病院の前身である国立東京第一病院に入院していた。
いまや横井庄一さんを知る人は国内でどれほどいるのか…。
太平洋戦争の「グアムの戦い」で米軍に完膚なきまでに叩きのめされた日本軍。1944年のことだった。
グアムから帰国した“元日本兵”に国内熱狂
歩兵第38連隊に所属していた横井庄一さんたちは、散り散りになってグアムのジャングルに逃げ込んだ。
「捕虜になってはいけない」と誰もがたたき込まれていた時代。
横井庄一さんが潜伏した月日は28年にも及び、1972年1月24日に現地で島民に捕らえられた。
翌2月、日航特別機で帰国することに。
帰国翌日から札幌五輪が開幕という日だった。機体にも五輪を知らせる表示が確認できる。
この年は「あさま山荘事件」「田中角栄内閣発足」「全日本・新日本プロレス旗揚げ」「太陽に吠えろの放送開始」「沖縄返還」「ミュンヘン五輪」「高見山が外国人力士で初の幕内優勝」などなど、話題豊富・・・激動の日本だった。
名古屋駅前に5000人が集まった
残留日本兵・横井庄一さんの故郷は名古屋。
その故郷に帰ってきた日から月日は流れ、2022年4月25日でちょうど50年となる。
名古屋駅に東京から帰ってきた1972年4月25日。
当時の中継リポートを聞くと「5000人くらいはいるのではないでしょうか」とアナウンサーが伝えている。
さらに、名古屋駅から横井庄一さんが中川区の実家にたどり着くまでの生中継で伝える50年前の映像は、目を疑う光景が広がっていた。
しかし、それも許された時代。横井さんの実家の中も外も多くの人が詰めかけ、横井さんは体力を奪われ、ぐったり…
筆者は名古屋に来て34年になるが、こんな名古屋の熱狂はドラゴンズの優勝の時くらいだろうか…。世界の大スターが名古屋に来てもこれほどのことはなかった。
一般男性が戦地から31年の時を経て故郷・名古屋に帰ってきたということが、どれほど当時の人々の心を揺さぶったのかがわかる。
名古屋市中川区の実家の周りには露店も出て、屋根の上まで人びとが上り、地元の“英雄”の生還を祝った。
28年間のジャングル生活のうち最後の8年はたった一人で生き延びた横井さん。
どれほどの強靭な肉体と精神の持ち主なのか…。