昭和34年、89人が犠牲に
行方不明者らの捜索に向かう船。2022年4月25日、北海道斜里町(画像:時事)
北海道の知床半島で2022年4月23日(土)に起こった観光船の沈没事故が、大きな反響を呼んだ。なぜこのような大事故に――。その裏に経営者のずさんな経営姿勢があったことも明らかになった。
【貴重画像】戦前「陸軍輸送船」の遭難現場(計7枚)
知床半島周辺は戦前・戦後を通じて多くの海難事故が起きている“魔の海域”だけに、悔しさと怒りは募るばかりだ。
この海域で起きた戦後最大の海難事故は、1959(昭和34)年4月6日の「4・6突風」と呼ばれるものだ。出漁中の漁船13隻が暴風のため次々に遭難し、実に89人もの命が奪われた。
今回の事故と同じ知床半島西側の海域で、斜里町ウトロは悲嘆にくれた。
この遭難を素材にしたのが映画『地の涯に生きるもの』だ。事故の翌年、同岬の東側にある羅臼町でロケが行われた。
主演の森繁久彌らが参加。撮影が終了し、羅臼町を立ち去る際、森繁が即興で歌ったのが後に「知床旅情」になり、加藤登紀子が歌って大ヒットになったのだった。
実は筆者(合田一道、ノンフィクション作家)は当時、釧路市で新聞記者をしていて、企画連載の取材でカメラマンとともに羅臼町を訪れた。小船に乗って海域を見、写真を撮影した後、町長室を訪れてあいさつを交わしたが、町長が、
「実はいま、森繁さんから曲が届いたんですよ」
と言い、録音テープで聞かされたのがこの歌だった。
悲劇の末、認知された知床の魅力
知床で起きた観光船の事故を伝える2022年4月26日の北海道新聞1面(画像:合田一道)
映画が公開され、秘境・知床岬が認知され、やがて一帯は知床国立公園に認定された。
羅臼町は1969(昭和44)年、森繁直筆の歌詞を刻んだ「知床旅情」の歌碑を建立。斜里町も負けじと同町ウトロに「知床旅情の碑」を建立した。
さらに羅臼町が1978(昭和53)年、「オホーツク老人・森繁久彌 顕彰碑」を建て、森繁を招いて除幕式を開催(『オホーツク老人』は戸川幸夫による原作)。
こうして知床岬は、多くの観光客を呼び寄せるのに成功したのだった。いまでもこの歌を耳にするたび、地元住民には不思議な感慨があふれてくる。