戦場は泥の海、それでもウクライナ軍とロシア軍の戦いは止まらない

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ウクライナ東部戦線は泥の海と化しているもののバフムート周辺の戦闘は依然して激しく、ロシア軍は大量の建築資材を投入して「龍の歯」と呼ばれる防御用障害物と塹壕で構成された防衛ラインをドネツク州とルハンシク州に建設している。

ロシア軍は龍の歯と呼ばれる防御用障害物と塹壕で構成された防衛ラインの建設を急ぐ

気象条件が悪化したウクライナ東部戦線は泥の海と化しているもののバフムート周辺の戦闘は依然して激しく、ウクライナ軍参謀本部は「ドネツク州のリマン方面とアウディーイウカ方面、ザポリージャ州のノヴォアンドリーフカ方面の部隊を強化するためロシア軍は部隊再編を続けている」と明かしている。

戦場は泥の海、それでもウクライナ軍とロシア軍の戦いは止まらない

出典:管理人作成(クリックで拡大可能)

さらにロシア軍は大量の建築資材を投入して龍の歯と呼ばれる防御用障害物と塹壕で構成された防衛ラインを建設中で、スバトボ方面の防衛ラインは南北に50km以上完成しているのが衛星写真で確認されており、更に南北に向けて拡張していると報告されているためロシア領とドネツ川まで防衛ラインを伸ばす可能性が高い。

ゴルロフカ方面の防衛ラインはドネツ川まで伸びた後、川沿いに沿ってルハンシクまで続いているという報告があるが、完成が確認されているのは一部のみで本当にルハンシクまで続いているかは謎だ。

ゴルロフカ~ドネツク間は侵攻前と殆ど戦線に変化がなく、ドネツク~ザポリージャ間は侵攻初期から地雷原や塹壕などで防御を固めているため、この地域に龍の歯と呼ばれる防御用障害物は確認されておらず、一先ず幾つかの接触線でウクライナ軍の消耗を図りながら冬をやり過ごす準備=守りを固めているのだろう。

7月末以降に記録されたロシア軍兵士の戦死者数と戦線での動き
07月31日~08月06日 1,230人 HIMARSでヘルソン州のロシア軍を攻撃
08月07日~08月13日 1,500人 AGM-88HARMの投入、クリミアでの爆発
08月14日~08月20日 1,500人 クリミアでの爆発、ケチル市で初めて防空システムが作動
08月21日~08月27日 1,500人 HIMARSでヘルソン州のロシア軍を攻撃
08月28日~09月03日 2,550人 29日に南部司令部が反撃開始を宣言
09月04日~09月10日 3,200人 6日頃にハルキウ州で反撃を開始、バラクレヤとクピャンスクを解放
09月11日~09月17日 2,000人 イジューム解放、ハルキウ州のロシア軍がオスキル川西岸まで撤退
09月18日~09月24日 2,050人 オスキル川を渡河してリマン方面への反撃を開始
09月25日~10月01日 3,310人 オスキル川沿いやリマン周辺で拠点を解放
10月02日~10月08日 2,450人 リマン解放、ヘルソン州で反撃、ロシア軍が撤退を発表
10月09日~10月15日 2,620人 クリミア大橋爆発、ロシア軍による都市攻撃
10月16日~10月22日 2,370人 ロシア軍の攻撃で火力発電所の約半数が損傷
10月23日~10月29日 3,180人 前線に大きな変化なし
10月30日~11月05日 5,190人 前線に大きな変化なし
11月06日~11月12日 4,770人 ロシア軍が右岸から撤退、ヘルソン市解放
11月13日~11月19日 3,670人 ゼレンスキー大統領がヘルソン市訪問
11月20日~11月26日 2,830人 前線に大きな変化なし

ウクライナ軍の公式発表を追っていくとロシア軍兵士の戦死者数は11月17日以降に急減(1日平均400人以下)していたが、25日から再び戦死者数が増加に転じているため両軍の砲撃戦は依然として激しいと思われる。

追記:電力と暖房の供給に問題を抱えるキーウ周辺で降雪が確認され、氷点下に近い気温の中で数百万人の市民が困難を経験している。

数字から見るウクライナ軍とロシア軍の戦い、11月17日以降の戦闘規模は縮小
ウクライナ軍とロシア軍の戦い、攻勢を止めても敵が戦力を回復するだけ

 

※アイキャッチ画像の出典:Генеральний штаб ЗСУ

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