ダンプ松本、32年間「パチンコ依存症」の黒歴史「1台に16万円」衝撃の年収も暴露!食事は「80円の…」

[ad_1]

ダンプ松本、32年間「パチンコ依存症」の黒歴史「1台に16万円」衝撃の年収も暴露!食事は「80円の…」

ダンプ松本

【写真】ダンプ松本の近影

 松本は1980年代に、金髪と悪魔のような派手なペイントメイク姿で注目を浴び、ブル中野とタッグを組んで「極悪同盟」の悪役レスラーとして活躍。女子プロレス旋風を巻き起こしたが、その陰で「パチンコ依存症」に苦しめられていた。

 「次長課長」河本準一が「一日でどれくらいパチンコに貯金したんですか?」と質問。松本は「1台には16万円入れたりとか」と衝撃の告白。続けて河本は「パチンコでは総額どれくらい…」と恐る恐る聞くと、松本は「マンション買えちゃうくらいじゃないですかね、きっと。何年もですからね」と言うと、スタジオは驚きに包まれた。

 そもそもパチンコにハマったのは、練習生時代だった19歳。ある出来事がきっかけだった。「初めてパチンコ屋さんに行ったのが…(練習の)マラソンコースにあって。長与千種と(一緒)だった思うんだけど。練習中にのどが渇くから、300円くらいを隠して持ってるんですよ」という。そこでパチンコ店へ入り「ジュースを買うかパチンコをやるか、どうする?って。(パチンコを)やったら当たりが一発で出ちゃったんですよ。300円で9000円になりました」と30倍に増え「出ちゃったらからやめられないよね~」と当時を振り返った。

 こうしてパチンコの虜になった松本。24歳でブレイクし、当時の年収は「MAX4000万円くらいあったみたい」と告白した。年間300試合の合間にパチンコに通い、稼いだお金を湯水のようにつぎ込んだ。

 パチンコ店では、当たる台をチェックする通称“ハイエナ”にお気に入りの台を奪われないようにするため、軍資金の準備に余念がなかったという。手元のお金がなくなっても「店内にATMがあるから」と続行。「(パチンコ台が自分を)呼んじゃってるから。おいで~あとちょっとで(当たりが)出るよ~って」と、止まらなかった。

 松本は27歳でプロレスを引退。時間に余裕ができると、パチンコ通いは加速した。「9時に行って並んで整理券もらって。夜11時まで『蛍の光』がかかってる」と一日中居座った。河本が「ご飯はどうするんですか?」と質問すると、松本は「パンを売りに来るから、80円くらいでカレーパン1個食べて。1000円札を崩すと、また(当たりが)出るかもしれないから、崩したくないんですよ。だから(食事は)小銭で」という徹底ぶりだった。

 病的にのめり込んでいると気が付いた瞬間があったという。「(パチンコ店に)行かない日は、みんなから『何で来なかったの?あの後爆発したのよ』って言われるんですよ。『何で来なかったのよ。あと1000円で良かったのに』って言われるから、1000円も惜しくてずっとやってる時に、『ああ虚しいな。これじゃダメだな、病気だな』と」と自覚した。

 19歳でパチンコにはまり、約30年目を迎えた50歳の頃。当たりが出ない虚しさを強く感じるようになり、パチンコ店にいるのが苦痛になっていた。パチンコとの決別を心に決めたが…。「(止める、止めないを)80回くらい繰り返した」と振り返った。

 松本は、依存から脱出した方法を激白。「パチンコで使おうと思っていた10万円を、(パチンコに)行かないで『食べに行こうよ、みんなで』って言って。美味しいものを食べてお酒を飲んだ時に、ストレスが全然なかったの」と気分もスッキリ。「(お金が)戻ってこなくても、全部腹に入っているわけだから。気持ちもね。それがすっごく良くて、止められたって感じかな」と明かした。

報知新聞社

[ad_2]

Source link