上岡龍太郎さん 現役時代から「矛盾の塊」だった 毛嫌いした「東京」「ゴルフ」にいつの間にか…

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上岡龍太郎さん 現役時代から「矛盾の塊」だった 毛嫌いした「東京」「ゴルフ」にいつの間にか…

上岡龍太郎さん

【写真】1995年7月、上岡龍太郎が豪ゴールドコーストマラソンを3時間台で走り、賭けに負けて丸刈りにされる大竹まこと

 死去の事実とともに、上岡さんの長男で、映画監督の小林聖太郎氏は「とにかく、矛盾の塊のような人でした」のコメントを発表した。理路整然とした語り口調、そして広い分野に渡る博識で、司会者、タレントとして長期間テレビ界で活躍。説得力あふれるトークとは対照的に、意外ともいうべき「発言」と「行動」の矛盾もあった。

 その一つが東京での芸能活動だ。1968年(昭43)の「漫画トリオ」解散後も、活動の拠点は関西。「ラブアタック!」(朝日放送)など出演番組の一部は全国ネットで放送されていたものの、テレビで「東京は文化のレベルが低い」などと公言し、なかなか東京には進出しなかった。キー局の初レギュラー番組は1990年放送開始の「上岡龍太郎のもうダマされないぞ!」(フジテレビ)。その後は在京各局でレギュラー番組を持ち、引退する2000年まで「全国区」として君臨した。

 さらに、「ゴルフなんか絶対にしません」と、こちらもテレビやラジオで公言しながら、いつの間にか「ドハマり」。2000年に引退後、シニアプロを目指して渡米するほど、のめりこんだ。

 いずれも後年、後輩の芸人などに「矛盾」をツッコまれながら、もっともらしい理由で「変節」を説明し、笑いに変える度量も持っていたのが、上岡さんだった。

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