亡き北公次さんの“肉声ビデオ”で語られているジャニー喜多川氏の生々しい性加害

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亡き北公次さんの“肉声ビデオ”で語られているジャニー喜多川氏の生々しい性加害

北公次(提供写真)

 一部で大反響だった北公次の告白本「光GENJIへ」が出版されたのは1988年。翌年、同名のビデオが発売された。1時間の北の語りと街の声で構成されたものだ。

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 一部では北が無理やり言わされたとか、ウソを語ったようにもいわれているが、北の三十数年前の話は今、問題になっているジャニー喜多川氏の性加害に関するものと同じである。

 中学を卒業して集団就職で名古屋、大阪、東京へと流れ、ジャニー喜多川と出会ったのは日劇ウエスタンカーニバルだった。当時、大人気だったグループ、ジャニーズの「付き人にならないか」と誘われ、ジャニー喜多川の住まいだった四谷のお茶漬け屋の2階に住むことになる。美少年だった北を「触りに来たりとかそういうことがありまして」。

 その後、当時、アメリカ大使館に勤めていたジャニー喜多川は昼間の休憩、食事の時間になると帰ってきて「体にキスしたり、僕自身……を舐めたりとか、そういうことをやって……仕事に戻る生活が続いた」。

 1年ほどジャニーズがアメリカに渡ったため、ジャニー喜多川も不在にした。帰ってきた時の第一声は「ごめんね」だった。北を一人残し寂しい思いをさせたことをわびたのだが、それから行為がエスカレートしていった。「男性のものが……突っ込まれる初めての経験」「痛いし、この人、何やってんだろう」

 だが、北は将来を考えて我慢した。「ジャニーの言うことをきかないとデビューできない」「我慢しなくちゃいけないと思って」。現在、性加害を訴えている元ジャニーズ所属のタレントの主張と見事に重なる。

 そしてこう語った。

「今までもフォーリーブス時代に本を出したことがあるんですけど、ジャニーとの絡み合いがいつも抜けてる。今回は自分の人生において、ジャニーとの関係を出さないと再出発はあり得ない」

 人気絶頂を経験したアイドルの決意の告発。そう考えるしかない。(敬称略)

(峯田淳/日刊ゲンダイ)

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