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LGBT法を可決した国会には同法の今後を注視する「結果責任」がある
【ニュース裏表 伊藤達美】
性的マイノリティーへの理解を促す「LGBT理解増進法」が通常国会で成立し、23日に施行された。率直に言って筆者は同法に反対である。
【写真】LGBT当事者らも「マーク多すぎて迷う」 渋谷区内の公衆トイレの案内板
はたして、成立を心底から喜んでいる人は、どれくらいいるのだろうか。「LGBTへの理解増進に異論は唱えられない」という「えたいのしれない空気」が、誰も歓迎しない「妥協の産物」を成立させたとの思いを禁じ得ない。
同法は、超党派議連がまとめた案をもとに、自民党が示した「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」という文言をめぐり、「差別の対象が明確でない」との疑問が多数、出ていた。
国会での成立にあたって、「『ジェンダーアイデンティティー』を理由とする不当な差別はあってはならない」との表現に修正されたが、疑問が払拭されたとは言い難い。
差別の定義があいまいである以上、悪意ある男性が、同法を悪用して女性専用スペースに入り込む懸念も解消されない。法案では「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」との条文も追加されたが、「LGBT当事者が『不安』の対象にされかねず、かえって理解を妨げる根拠になる可能性もある」との声も上がっている。
学校などで子供の理解を増進・啓発するとしたことにも、不安がある。精神的に未熟な生徒らに、LGBTへの理解をきちんと教育できるのか。これに乗じて、過激な主張をする団体などが教育現場に介入する危険性はないのか。心配は尽きない。
法案には、自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の4党が賛成した。自民党議員には「退席」という形で、事実上の棄権をする議員も見られた。一方、立憲民主党と共産党、れいわ新選組などは反対したが、改正入管難民法採決の時のような激しい抵抗はせず粛々と採決に応じた。
わざわざこのような経緯を記すのは、棄権も含め、採決に参加した議員は、法律の行く末に責任を持ってもらいたいからだ。「責任を持つ」とは他者を批判することや、辞任を要求することではない。
立法の意図と異なる不都合があれば、自らが直ちに廃止なり、改正するなりの行動を起こすべき、という意味だ。
自民党の一部からは、採決にあたって「党議拘束を外すべき」との意見もあった。筆者は、自民党執行部がそれに応じなかったのが、せめてもの救いだったと考えている。
臓器移植法では、党議拘束を外したため、各党が責任を持てなくなってしまった。結果として、法律に不都合があっても党として対応できず、法改正がなかなかできない背景となっている。その二の舞いを、踏んでほしくない。
法律を成立させることだけが、国会の仕事ではない。間違った法律を正すのも、国会の重要な仕事だ。「結果責任」とは、そういうことではないのか。 (政治評論家)
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