【タリン=尾関航也】旧ソ連のバルト3国最北端にあるエストニアの首都タリンでインタビューに応じたカーヤ・カラス首相は、ロシアのウクライナ侵略についてロシア指導部の責任を問う必要性を強調した。ソ連支配下で生まれ育った実体験に基づく信念が根底にある。
【図】ひと目でわかる、エストニアはどんな国?
弾圧の歴史重ね
4日、エストニア首相官邸でインタビューに答えるカーヤ・カラス首相=J●rgen Randma氏撮影、エストニア政府提供(●はuの上に点二つ)
「侵略犯罪を裁く特別国際法廷の設置を推し進めることが重要だ」
丘の上にある首相官邸でカラス氏は力を込めた。窓から見える港の先には、ロシア軍と北大西洋条約機構(NATO)軍がせめぎ合うバルト海が広がる。
ウクライナでは首都キーウ近郊ブチャで起きた虐殺をはじめ、ロシア軍による戦争犯罪が次々と明らかになっている。
カラス氏は、これを第2次大戦後にソ連が行ったバルト3国住民への弾圧に重ね、「歴史の本で読んだり祖母から聞いたりしていた話が、ウクライナで実際に起きている」と憤る。
カラス氏の母と祖母は当時、多くの住民と共に酷寒のシベリアに連行され、抑留されたという。エストニアがソ連の一部だった時代に生まれたことを「私は占領下で生まれた」という表現で振り返った。
カラス氏は「ロシアの行動原理は今も1940年代とまったく同じだ」と断言する。なぜ変わらないのかという問いに自分で行き着いた答えが、戦争犯罪に対する責任追及の欠如だという。
第2次大戦後にドイツはニュルンベルク裁判、日本は東京裁判で戦勝国の裁きを受けた。ロシアは「過去の犯罪について責任を問われたことが一度もない」と指摘する。
冷戦時代、「鉄のカーテン」で隔てられたソ連内部で何が起きているのか、西側に入ってくる情報は乏しかった。バルト3国の住民弾圧が広く知られるようになったのは、冷戦後のことだった。
「鉄のカーテンのこちら側の歴史はあまり知られていない。我々は占領下で見てきたから、彼らがどのように活動するのかをよく知っている」。カラス氏はそう語り、対露認識で西欧諸国と違いがあっても不思議ではないと強調した。