富栄ドラム「家族のため」に誓った力士時代:13年の下積みを振り返る地元紙記者の眼差し

中学卒業後、大相撲の世界へ

TBS系ドラマ、日曜劇場「VIVANT」(日曜午後9時)で、31歳の富栄ドラムさんがドラム役を熱演しています。彼は力士時代、「家族のため」に立身出世を目指し、負けると涙を流し悔しがる姿勢で知られていました。

力士時代の富栄ドラムさん

地元紙の神戸新聞は、出身地である神戸市から無名の力士だった富栄ドラムさんを取材し続けてきました。VIVANTへの抜擢が決まった今、神戸新聞の歴代相撲担当記者たちが富栄ドラムさんの力士時代を振り返ります。

中学卒業後、大相撲の世界へ

富栄ドラムさんは神戸市立中学校の新人柔道大会で、71キロ級と66キロ級を2年連続で優勝し、中学卒業と同時に大相撲の世界に挑戦しました。身長160cmほどの小柄な体格で、最初の場所では負け越しを経験しました。しかし、彼は精進と努力を積み重ね、13年間の力士生活の中で体重を120キロまで増やし、幕下6枚目まで番付を上げ、関取まであと一歩のところまで迫りました。

神戸新聞は毎年、富栄さんの意気込みや決意を紙面に掲載してきました。例えば、力士として3年目の2010年には、中学卒業後に体重を30キロ以上増やし、100キロに達したことを報じ、彼が「押し力の稽古に専念し、常に筋肉痛の状態。ただ前に進むことしか考えていない」と率直に語った姿が印象的でした。また、2012年には「稽古によって下半身が鍛えられ、太ももが太くなり、突きの力が強くなってきている」と成長を実感していたことも報じられました。

富栄さんは負けん気が強く、ある記者は「対戦で負けた日には号泣し、取材ができなかったこともあった」と回想します。別の記者も「負けると『聞かないでください』というオーラが漂った」と述べています。彼は家族のために出世したいという強い思いを抱いていました。ある時には「父と母のためにも十両に昇進したい」と語り、記者には「家族のために頑張りたいという親孝行の思いが伝わってきた」と感じさせました。

一方で、富栄さんはマスコミ嫌いというわけではありませんでした。彼が涙ながらに取材に答えられなかった日は、横綱日馬富士の付け人をしている合間を縫って、記者に「考えたコメントをお伝えします。今、いいですか?」と声をかけ、「神戸のヒーローになります!」と宣言したこともありました。

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(出典元リンク: https://news.yahoo.co.jp/articles/965047432e9a884edf450216f9d90cfc5525b4be