「ひとり残されるぐらいなら、自分も船に乗っていれば良かった」知床観光船沈没、元妻と息子はいまだに行方不明 それでも遺族は取材に応じる「これは事件だから」

知床観光船沈没事故から1年半が経ちましたが、未だに残る6人の行方が分かりません。その中には、高岡佳さん(仮名)の元妻と息子も含まれています。彼らは事故発生前日に船に乗り込み、その後の音信不通となってしまいました。

「ひとり残されるぐらいなら、自分も船に乗っていれば良かった」と高岡さんは悔やんでいます。彼自身の人生も終わってしまったように感じるほど、苦しい思いをしています。しかし、報道各社の取材に対して、彼は応じ続けています。「これは誰かが責任を取らなくてはならない『事件』。風化させてはいけない」という危機感からです。

かけがえのない家族

高岡さんは、元妻と出会ったのは2005年ごろでした。彼女はおしゃべりな性格で、高岡さんとは対照的な存在でしたが、お互いに引かれていきました。2人は共通の趣味であるロックバンドのライブやフェスに足を運び、一緒に旅行も楽しみました。

元妻は旅行関係の専門学校出身で、2人で国内外を旅しました。初めて見るイタリアの美しい街並みに魅了された高岡さんですが、旅行中にカメラを盗まれてしまった際には、現地警察の対応に不満を感じました。「彼女との出会いが、自分の世界を広げてくれた」と彼は感謝しています。

結婚後の2017年1月、2人の間には待望の息子が生まれました。出産室の前で聞こえる赤ちゃんの泣き声に、高岡さんは涙があふれました。息子の元気な姿を知り、再び涙を流すほどです。2人で決めた名前は、1文字の漢字で中性的なものでした。呼ぶたびに「この名前にして良かったね」と2人で微笑み合いました。

息子は次第に鉄道が大好きになりました。近所の踏切に連れて行き、ラッピング列車や警笛の音に興奮し、その様子を見ていると高岡さん自身も喜びを感じました。また、高岡さんの手料理も大好物で、「おいしい?」と尋ねると、息子は親指を立てて応えるのがお約束でした。

しかし、2022年3月に高岡さんと元妻は離婚しました。お互いに納得の上での決断であり、3人がかけがえのない家族であることに変わりはありませんでした。離婚後も継続的に連絡を取り合い、特に息子への関心も変わりませんでした。高岡さんは彼との約束を果たすため、息子に自転車をプレゼントする予定でしたし、珍しい鉄道車両を見に遠出する計画もありました。

そして、旅行の日。高岡さんは元妻と息子を見送りました。元妻からは「自転車の練習に付き合ってあげてね」という頼みごとがありました。

しかし、その後の連絡が途絶えました。元妻からの最後のメッセージは、「今から船に乗る!」というものでした。それに続いてウトロの「ゴジラ岩」の写真と息子の写真が送られてきました。しかし、それを最後に音信不通になってしまったのです。「いつもならすぐに返信があるのに、旅行が楽しくて返信する暇がないのかもしれない」と高岡さんは当時は不思議に思いましたが、事故が起きているとは思いもよりませんでした。

知床観光船沈没事故の調査の流れについての詳細は、以下のリンクからご覧ください。

知床観光船沈没事故の調査の流れ(Source link)