「変形した指はポケットに入れて・・・」差別と偏見に苛まれたハンセン病患者が逃れた島 写真で伝える現実【沖縄発】

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日本ニュース24時間

いつもお読みいただき、ありがとうございます!今回は、ハンセン病患者についての特集です。昔の差別や偏見に苛まれていた彼らが、逃れの地として選んだ無人島の実情を、写真とともにお届けします。

焼き討ち・迫害に直面して無人島に

沖縄県内にひっそりとたたずむ無人島には、ハンセン病の闇が刻まれています。

この無人島にフォーカスを当て、写真を撮影したのはフォトジャーナリストの小原一真(おばら かずま)さんです。

小原さんは、「国が怖い伝染病であるという誤った認識を広げたことによって、1930年代に焼き討ちにあったり迫害に直面した患者さんたちが無人島に逃れたんですね」と語ってくれました。

この小さな無人島は周囲が300mほどで、かつてはハンセン病の患者が避難し、最大で40人が住んでいたそうです。

小原さんは、「病気が治癒するまで、患者たちは無人島で生活しなければならなかったため、まったく外部との接触がなくなりました。そのことによって、彼らは安心感を得たのかもしれません。森の中に入ると、外の世界は一切見えなくなるんですよ」と島を訪れて感じた印象を語ってくれました。

1931年、日本ではハンセン病患者を強制的に隔離する法律が制定されました。

この強制隔離政策の下では、ハンセン病患者は子どもを産むことが許されていませんでした。それにも関わらず、子どもを持ちたいという人々はこの島に逃げ込み、出産を迎えたのだとか。

感染への恐怖以外のものを覚えた”人への恐怖”というもの

小原さんはこれまで、戦時下のウクライナでの撮影経験がありますが、新型コロナウイルスの感染拡大により差別や社会の分断が生じたことから、ハンセン病の歴史についても知りたくなったと語ります。

小原さんは、「私が初めてコロナに関連した撮影をしたのは、2020年4月からの無症状者と軽症者の療養施設でした。そこで感じたのは、本来ケアされるべき人々に対する差別が大きかったことです。彼らは部屋で隔離されているため、写真を撮ることができませんでした」と述べています。

2020年3月、4月には、コロナ感染者だけでなく看護師までもがバスに乗れないといった報道がありました。また、差別的な言葉が投げかけられるなど、沖縄県内でも差別が存在しました。

差別的な対応をされると、非常に悲しくなり退職を考える人もいました。「本当におかしい」と小原さんは疑問を抱き、自分自身もハンセン病について学びたいと思ったのです。

以上、ハンセン病患者についての特集でした。差別や偏見がなくなり、社会がより包括的になることを願います。

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