平成の時代、1990年代後半。クラスの男子のほとんどが夢中になり、女子たちの憧れの存在となった鈴木亜美さん。普通の女子高生だった彼女が、オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京系)を経て、一夜にして国民的な歌手になったことは、多くの人の記憶に残っています。今年は彼女のデビュー25周年を迎え、記念ライブの開催や新曲のリリースなど、精力的に活動しています。テレビに映る姿からは知りえなかった、鈴木亜美さんのTHE CHANGEとは一体どんなものだったのでしょうか?【第2回/全5回】
今思えばありえない個人情報公開
『ASAYAN』に、制服姿の鈴木さんがバーバリーのグレーのチェックのマフラーをしていたのが映った翌日から、私たちの高校の通学路はグレーのマフラーだらけになったんです。
鈴木「ええ!本当!…鳥肌たちました…すごい、初めて聞きました」
私たちの熱狂は彼女には届いていなかったかもしれませんが、鈴木さん自身は混乱の渦中にいました。
鈴木「お母さんと‘部活は続ける’という約束はしたものの、物理的に難しくなってしまったんです。人が集まりすぎて、学校にすら行けなくなってしまって」
ファンの方が見物に来るんですか?
鈴木「そう。今思えばありえないけど、『ASAYAN』では学校名もお父さんの名前も出していて、自宅も映ってましたから。お父さんの名前をタウンページからたどれば電話番号もわかるし、プライバシーが垂れ流し状態でした。みんなが来ちゃうし、1日中電話が鳴りっぱなしでした。
普通に生活ができない状態になり、毎日のように“これからどうしようか”と家族会議をしていましたね」
危険な目に遭うことは?
鈴木「当時はスマホのカメラもなかったし、むやみな盗撮もなく、ただ家の前にずーっといる、というくらいでした。何事もなくてよかったです」
生活に支障が出たことで引っ越しを決めた鈴木さん一家は、鈴木さんがまずひとりで上京し、芸能科のある高校に転校。その後、家族が追いかけてきました。
鈴木「私だけじゃなく、家族も含めてですね」
国民的な人気者だけが経験したTHE CHANGE。そこには、想像を絶する激動の日々がありました。
鈴木亜美(すずき・あみ)
鈴木亜美さんは1982年2月9日生まれ、神奈川県出身。1998年2月、オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京系)の『ボーカリストオーディション・ファイナル』で1位を獲得し、小室哲哉さんのプロデュースで歌手デビューしました。シングル『white key』や『BE TOGETHER』、アルバム『SA』や『infinity eighteen vol.1』などが大ヒットし、ヒットチャート常連歌手としてメディアを席巻しました。現在は3児の母としてSNSでリアルな育児を発信しています。バラエティ番組でも激辛女王として再ブレイクし、今年の25周年には新曲『I just feel good(Prod.TeddyLoid)』をリリース予定です。