小手伸也の早大時代に出会った超人気俳優「プリンスの芝居、目を引くよねって」

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俳優の小手伸也(49)が11日、TOKYOFMの「川島明 そもそもの話」にゲスト出演し、大学時代に出会った「オーラが違った」とされる人気俳優について語りました。

大学時代の舞台での出会い

高校時代に劇団「カムカムミニキーナ」の舞台を見て衝撃を受け、浪人生活を経て早稲田大学に入学した小手伸也は、演劇サークル「演劇倶楽部」に入部しました。当時、早稲田大学には約200もの劇団が存在していましたが、その中でも特に有名だったのが俳優の堺雅人だったのです。

堺雅人との出会い

「堺さんは僕と同い年ですが、現役入学だったため、僕が1年生の時にはすでに3年生でした。所属していたサークルも違って、堺さんは演劇研究会に所属していました。」

当時、創立から10年ほどしか経っていなかった演劇倶楽部に対し、演劇研究会は1920年に創立された超老舗のサークルでした。小手は「森繁久彌さんも所属していて、早稲田大学の演劇界の総本山のような存在でした。エリートの中のエリートだった」と話しています。

ある時、小手は演劇研究会に物を借りに行きました。「すいません、ちょっとインストルメントを貸していただきたいんですけど」とお願いすると、堺が「いくつ?何台?」と応対したのです。「わー堺さんだ、と思って。堺さんはあだ名が“小劇場界のプリンス”と言われていて。“プリンスの芝居、目を引くよねー”と(当時のことを)話していました」と小手は回顧しています。

堺雅人の存在感

堺雅人は当時から別格の存在感を持っていたといいます。「売れたい人はこのくらいオーラを出すんだなあ、大成功するんだなあ」と当時を回顧しています。また、堺も小手の存在を知っていたようで、ある時打ち上げで顔を合わせた際には「お噂はかねがね」と言われたそうです。

話を聞いていた「麒麟」の川島明は「じゃあ、小手さんもプリンスだったんじゃないですか?」と尋ねると、小手は笑いながら「僕はプリンスというかクラッシャーでしたね」と答えています。今では名バイプレーヤーとして活躍している小手ですが、当時は「(芝居で)彼が出てくると大変なことになるというか…今では考えられないほど“前へ前へ”系の俳優だった」と振り返っています。「当時、メディアで僕に付けられた通り名がありました。堺さんは小劇場界のプリンス、小手伸也は早稲田最後の核弾頭って言われていました」と楽しそうに話していました。

このエピソードから分かるように、小手伸也と堺雅人の早稲田大学時代の交流は、二人の俳優としての軌跡を彩る大切なエピソードとなっています。

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